page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

北海道内の訪問記

ちょっと興味があった場所の紹介です

十勝郡浦幌町直別 オタフンベチャシ跡

オタフンベチャシ跡は、道道1038号直別共栄線を厚内から釧路方面に海岸線を行った左大カーブの内側にあり、海岸に向かって細長く馬の背状に伸びた丘陵先端部の独立した高所にあるチャシで、形状としてはお供山型になります。国指定史跡指定年月日:1981.08.2…

小樽市忍路 国指定史跡 忍路環状列石(縄文後期のストーンサークル)

地鎮山環状列石の次は忍路(おしょろ)環状列石に訪問です。 前2つの環状列石と違い山頂ではなく麓の緩斜面に史跡はあり楽な訪問でした。 忍路環状列石の発見はかなり早く、江戸時代後期の1861年(文久元年)であり1880年代に札幌農学校の第一期生である田内…

小樽市忍路 北海道指定史跡 地鎮山環状列石(縄文後期のストーンサークル)

西崎山環状列石を後にして本日2つ目のストーンサークル訪問です。 地鎮山環状列石は西崎山環状列石から小樽側に直線距離で2.2km行ったところにある、通称地鎮山(標高50m)の山頂にあり昭和25年8月28日に北海道指定史跡(登載番号D-01-3)に登録されました。…

余市郡余市町 北海道指定史跡 西崎山環状列石(縄文後期のストーンサークル)

西崎山環状列石は、余市町と小樽市の境界に位置する通称西崎山の標高約50m〜100mの尾根上にあり、余市町側が「西崎山環状列石」(登載番号D-19-4)、小樽市側が「西崎山ストーンサークル遺跡」(登載番号D-01-64)となっています。遺跡の範囲は南北約130mも…

野付郡別海町本別 旧陸軍計根別第一飛行場跡を訪問

弟子屈から中標津に行く途中にある、道々中標津標茶線を走っていると左にコンクリート製の何かがあり、気になっていた人もいることでしょう。 これは、戦闘機などを空襲から守るための掩体壕と呼ばれるもので、このようにコンクリート製のシェルター状のもの…

標津郡中標津町 中標津神社チャシ跡

中標津神社の石段左側斜面中腹の平場には、チャシ跡と言われる場所があります。 チャシの種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式等があり、中標津神社チャシは面崖式の一つで、アイヌの砦跡というよりは祭事や談判場所のような気がします。 説明板…

新冠郡新冠町 大狩部の御野立所(おのだてしょ)とトド岩

新冠町大狩部(おおかりべ)の旧道には、明治44年9月に皇太子だった大正天皇が新冠御料牧場行啓の際、ご休憩された高台があり、その麓の湧水を使って御茶をお召し上がりになられた場所でして、太平洋が一望できます。 その後も皇太子時代の昭和天皇や、常陸…

新冠郡新冠町 新冠町郷土資料館に訪問

昼食後のお昼休みに訪問です。 外には奥新冠ダム発電所で使われていた水力タービンと、大昔にあった脱穀小屋と内部の施設が復元されたものが展示されています。 館内は新冠町の自然・歴史・民俗・産業がテーマごとにまとめられていて、 動植物の標本、馬関係…

新冠郡新冠町 新冠川の河童伝説

新冠川河口付近右岸側にある研修施設の「判官館青年の家」近くに、カッパ伝説の説明板がありました。 説明板によると「この川にはアイヌ民族に伝わる伝説があります。新冠川河口にある判官館の岩下に、昔から河童が住んでいるということです。そこには変わっ…

新冠郡新冠町 新冠会所跡と三基の墓石

新冠には江戸時代松前藩によるニイカップ場所があって、アイヌとの交易などを行っていましたが、のちに蝦夷地が幕府直轄領となってからは会所と呼ばれる交易等政務を行う所がありました。 新冠会所跡は判官館(ピポクチャシ)裏の海岸線にあって、古い地名で…

日高郡新ひだか町静内目名 国指定史跡「シベチャリ川流域チャシ跡群」メナチャシと稲田家臣団

メナチャシは、静内市街地から静内川上流に向かった途中の右岸側台地の縁にあって、御殿山チャシまたは文四郎館とも呼ばれています。 御殿山公園と稲田家臣団 チャシのある御殿山公園の辺りは徳島藩洲本城代家老稲田家と深い関わりを持った地域であり、稲田…

新冠郡新冠町高江 ピポクチャシ(新冠判官館[ハンガンダテ]) 義経ロマン伝説とアイヌ伝説「ピポクの黒狐」の地

ピポクチャシは新冠泥火山の傍にある南方丘陵先端にあって、アイヌの砦跡や祭事場所と言われる所です。 チャシの種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式等があり、ピポクチャシは丘先式の一つです。 このチャシ跡は、北海道でおなじみの義経ロマン…

新冠郡新冠町高江地区にある北海道天然記念物 新冠泥火山(にいかっぷ でいかざん)

国道235号を新冠方面に向かう途中、海岸部から内陸方面に国道が向かって大きな右カーブに差し掛かる先に、牧場内にある小さな丘が見え始めますがそれが新冠泥火山です。 下写真は最も大きい第八丘で、山頂付近の草の生えていない1メートル以上の高まりは、20…

富良野市ベベルイ付近にある原始の泉(富良野の名水)に癒やされに行きました。

9月9日の富良野は暑くて32度という高温でして、前日は33度もあったとか。。。 いつもは雲に隠れて見えない富良野西岳のとんがった山頂が見える日でもありました。 用意していた飲料水も、ガブ飲みで午前中には底をつき涼&給水を求めに湧水地へGO~ 原始の泉…

奥尻島へ日帰り強行軍してきました。~奥尻滞在2時間旅行記~

メインの目的は奥尻島にある澳津神社の参拝でして、この日(8月31日)が奥尻島日帰りのうち島内滞在2時間ができる最後の日で、前日に運行表を何気なく見て慌てて決定です(笑) 江差09:30出港~奥尻11:40着 ← この間2時間20分 → 奥尻14:00出港~江差16:10着 …

雨竜郡秩父別町 ファミリースポーツ公園にあった(過去形) ロッキードF-104JとノースアメリカンF-86D

秩父神社に行く前に、近くの公園に置いてあった戦闘機はどうなったんだろう?と訪問。 これは2008/8/31訪問のときの写真です しかし、公園は改修されて新しい遊具があったり一新されましたが、機体のあった場所はただの芝生に戻っていました・・・ 残念。 公…

赤平市 赤平徳川城

赤平市の外れに行くと国道から山の上にお城が見えます。 この建物はもう倒産した人形メーカーの「人形工房徳川城」が建てたショールーム兼製造工場だったもので、4層6階建ての天守は立派なものですね。 今でも赤平に行くときには目立つシンボル的な存在です…

石狩郡当別町 当別伊達記念館と伊達邸別館

明治4年(1871)4月、旧仙台藩岩出山一門伊達邦直が、家臣団とともに開拓したのがこの当別町で、昼なお暗い原始林を切り開き、水害、冷害のほか幾多の困難を不屈の闘魂と固い団結の力によって克服し、今日の当別町の礎を築きあげました。この記念館は、それら…

函館市若松町 「土方歳三最後の地碑」を訪問

箱館戦争の末期に土方歳三が銃弾に倒れたという一本木関門跡に近い若松緑地公園に、土方歳三最期の地碑が建っています。 明治2年(1869年)5月11日、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で新政府軍の箱館総攻撃が開始され、弁天台場が新政府軍に包…

函館山 函館要塞「御殿山第二砲台跡」を訪問

明治期に作られた要塞の砲台跡が身近に見られる所で、過去に何度か訪問する程とてもお気に入りの場所の一つです。 函館要塞は、明治29年頃から仮想敵国をロシア帝国と想定し計画され、明治30年には函館に砲兵大隊が編成されます。明治31年から函館市街と津軽…

【道南十二館】函館市志海苔町 志苔館(しのりたて)

道南十二館の一つ志苔館(しのりたて)跡は、函館市志海苔町にあり函館空港の直ぐ側にある中世の館跡で、標高17~25m程の海岸段丘縁にあり館跡からは南西側の函館山と市街地および津軽海峡、さらには遠く下北半島などを一望することができます。 画像は函館…

虻田郡豊浦町礼文華 「カムイチャシ」を訪問

豊浦町の大岸と礼文華の境目にある、海岸線を分断するように内浦湾に突き出した断崖の岬があって、その上部先端にはアイヌのチャシ跡があります。 チャシの種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式等があり、カムイチャシは丘先式の一つです。 カム…

茅部郡森町砂原(旧砂原町) 国指定史跡「東蝦夷地南部藩陣屋跡 砂原陣屋跡」を訪問

南部藩砂原陣屋跡は、北海道茅部郡森町砂原3丁目(旧砂原町四軒町)にあり幕末に幕府が仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じ、そのうちの南部藩により作られた陣屋跡です。旧砂原町市街地の噴火湾沿岸から約100m離れた標高約13m…

函館市桔梗 三陵郭といわれる場所と比遅里(ひぢり)神社

産業道路と国道5号が交差する場所の七飯側にあり、比遅里(ひぢり)神社の境内にあります。 参道から土俵及び先端部を見る 土俵から五稜郭方向の斜面肩 土俵周りの土塁は後年この土俵が作られた時代のものだと思う。だってこんな狭い所に籠もってたら砲弾一…

函館市神山 権現台場跡と旧東照宮(現:神山稲荷神社)

権現台場は函館市神山3丁目18-1にあり、五稜郭の北方を守るため急造された四陵郭との中間に位置し、地形的には四陵郭のある台地が南方に伸びた先端部の、旧東照宮があった高台に築かれた野戦陣地的なものです。 旧東照宮社殿は官軍の手により焼失し、現在は…

北斗市(旧大野町)字一本木 史跡 開拓使三角測量一本木基点(函館助基線)

勇払基線の時にも述べましたが、基線とは日本の三角測量の基点となる直線(基線)の一つであり、その両端からの角度を用いて三角網を形成して広げていく為に、基線の距離測定は精密さを要求されます。 一本木基点 北海道指定史跡 平成16(2004)年9月22日指…

北斗市(旧上磯町)野崎 国指定史跡 松前藩戸切地陣屋跡

戸切地(へきりち)陣屋跡は、幕末期の箱館開港に伴い幕府が松前藩に命じて1855年(安政2年)に作らせた陣屋で、直接的な海岸防衛を意識しないで内陸に作った出城みたいな防衛拠点です。張り出しのある砲郭も陣屋自体の防御の為の張り出しであって、街道筋や…

北斗市(旧上磯町)矢不来(やふらい) 北斗市指定史跡 矢不来台場跡

北斗市矢不来(やふらい)の急傾斜の上にある台場跡(砲台跡)で、幕末期の外国船からの防備を任された南部藩によって築かれました。 ここは函館湾の入り口にあたり、対岸の函館山の下にあった押付台場と対をなす施設です。ただ、矢不来台場と押付台場の距離…

【道南十二館】北斗市(旧上磯町)矢不来 茂別館(もべつだて)

道南十二館の一つ茂別館(もべつだて)跡は、茂辺地集落を流れる茂辺地川左岸の台地上にあり、1443年(嘉吉3)津軽十三湊(とさみなと)城主の安東盛季が南部氏に敗れて北海道に渡ってきたときに築造され、安東政季が1454年(享徳3)から1456年(康正2)まで居…

松前郡松前町 国指定史跡 松前藩主松前家墓所

松前城には観光客がいっぱい居ますが、ここは誰一人と訪れることもなくひっそりとしています。墓所を訪問する人なんて、ご先祖様を探しに来た人か、物好きな人しか居ないですよね^^; そんな私は物好きの一人です。はい。 石段右に欅の大木があり、松前氏7世…