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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近はほとんど気楽な食レポが多いです。

野付郡別海町本別 旧陸軍計根別第一飛行場跡を訪問

弟子屈から中標津に行く途中にある、道々中標津標茶線を走っていると左にコンクリート製の何かがあり、気になっていた人もいることでしょう。

 これは、戦闘機などを空襲から守るための掩体壕と呼ばれるもので、このようにコンクリート製のシェルター状のものから、屋根もなく爆風・破片除けの土堤のみの無蓋掩体壕と呼ばれるものもあります。

これがあるということは、近くに旧軍の飛行場があったということになります。

 この掩体壕は道々中標津標茶線すぐ側にあって、アクセスもしやすく比較的メジャーなスポットでもあるのですが、実は南方1.7km先にも同じものが2個あることはあまり知られていません。(そのうちの一個は半壊状態ですが)

掩体壕①(道々そば)

半分ほど埋まっていますが、周りに草木が少ないおかげでよく見えます。

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掩体壕②と奥に半壊の③(①の南方1.7km)

カメラがコンパクトデジカメなこともあり、ちょっと遠いので見えにくいですね。

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ちょっと移動して角度を変えて見ると、アーチ状の屋根がわかります。

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旧陸軍計根別飛行場

 昭和18年(1943年)アリューシャン列島のアッツ島玉砕およびキスカ島撤収により、北方の最前線が北千島に移り北海道への米軍襲来が予想されると、主戦場になるであろう標津方面に陸海軍の様々な航空基地を建設し始めました。

 ここ計根別には(地域的には別海であるが基幹飛行場である第一飛行場が計根別にあったことから呼称される)第一から第四の4つの飛行場および1つの簡易滑走路が建設され、昭和19年には飛行第32戦隊(九七式軽爆撃機、九九式襲撃機)19年2月~12月、20年3月~終戦までが展開していました。一時期には飛行第74戦隊(百式重爆撃機(呑龍))19年4月~11月が南千島の哨戒にあたっていました。

 他の飛行場は農地転用され消滅しましたが、計根別第四飛行場は跡地の状態が良く残っていたので、1952年(昭和27年)朝鮮戦争の激化により復旧され滑走路の補修を行い、1600m滑走路でアメリカ空軍不時着用飛行場として再開港しました。その後、昭和33年に航空自衛隊に返還され、昭和34年には民間共用により西春別空港として北日本航空(現日本航空)がDC-3により、丘珠~女満別~西春別路線を開設します。昭和40年、中標津空港開港により民間機は移り、陸上自衛隊別海駐屯地内の航空自衛隊管理の有事に備えた代替滑走路となりました。

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Google Mapから。別海フライトパークが使用している滑走路は旧誘導路で、付近には格納庫跡が多数現存しています。⑬の道路記号がある付近の真っ直ぐな家並みの区画は旧滑走路跡になります。

国土地理院地図に昭和23年米軍撮影空中写真で判読できた滑走路や格納庫及び掩体壕を書いてみました。

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昭和23年 米軍撮影空中写真 もうすでに色々なものが破壊され畑になっていたりします。

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誘導路南端辺りの町道から滑走路があった家並みを見ると、平坦な地形が広がり適地だったことが伺えます。

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道々から滑走路跡の方向

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上の撮影場所から誘導路方向。分かりにくいですけど誘導路跡は周囲より高い盛土になっています。

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別海フライトパーク付近の格納庫の基礎

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他にもまだ格納庫跡のコンクリート基礎部分は残っています。

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現在の状況からこの地域一帯は旧軍の飛行場があったなんて、誰もわからないでしょうけど、これらも戦時中の朝鮮人労働者などの悲しい出来事がある戦争遺跡の一つです。