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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

北海道内の訪問記-城郭・陣屋・台場・チャシなど

北海道内にある城郭・陣屋のほかアイヌのチャシ跡などを訪問。

釧路市城山 国指定史跡 釧路川流域チャシ跡群 モシリヤチャシ跡を訪問

ここも春採のチャシと同じく名前が変わったのですね。以前はモシリヤ砦跡でした。 チャシの周囲はフェンスで立ち入り規制されていて、史跡の見学を見学を希望される場合は、事前に釧路市立博物館(電話:0154-41-5809)にご連絡ください。と釧路市立博物館ア…

釧路市鶴ヶ岱 国指定史跡 釧路川流域チャシ跡群 ハルトルチャランケチャシ跡を訪問

春採湖湖北の半島状に突き出した丘の上にある、ハルトルチャランケチャシ跡に訪問。以前は、鶴ヶ岱チャランケ砦跡という名前だった気がするのですが変わったのですね。 釧路川流域チャシ跡群とは 釧路川筋では湖沼部も含め約40か所のチャシ跡が確認されてい…

根室市 根室半島チャシ跡群の一部を訪問

画像は根室市観光協会HPから 根室半島チャシ跡群は国指定史跡に指定され(根室半島にある24ヶ所のチャシ跡)16~18世紀頃に築かれたものと推定されています。 根室半島のチャシ跡は、海を臨む崖上に半円形や方形の濠を巡らせた「面崖式」(めんがいし…

厚岸郡厚岸町 奔渡町裏山チャシ跡

鹿落しのチャシ跡を訪問後、南方約400m行ったところにある奔渡町裏山チャシ跡へ。 道中、おびただしい数の鹿たちが草をはんだり横になって休んだりしていますが、こちらの姿を見かけると一斉に凝視し、ちょっとビビっちゃいますわ。 名称 奔渡町裏山チャシ跡…

厚岸郡厚岸町 鹿落しのチャシ跡

国道44号から道道123号に入り、湖南地区方面に厚岸大橋を渡ると前方にそびえるお供山には、標高およそ60メートルの頂上にお供山展望台があり、厚岸湾、厚岸湖をはじめ厚岸町の市街地を一望する事ができる絶景ポイントになっています。またお供え山には4箇所…

【道南十二館】松前郡松前町神山 原口館(はらぐちだて)擬定地とされていた場所

道南十二館の一つ原口館(はらぐちだて)跡は、原口漁港の北側300mほどの海岸段丘上にあり、もともと戸井館の城主であった岡部六郎左衛門尉季澄が、蝦夷の襲撃を受け原口に逃れて館を築いたとされ、原口館は長禄元年(1457)のコシャマインの戦いで陥落しま…

檜山郡上ノ国町汐吹 ワシリチャシ跡(チャシ跡ではなく古代の防御性集落跡らしい)

上ノ国町汐吹の両側を小沢に挟まれた台地の先端部にあり、昭和55年の国道改修工事で発見されたものです。その後の調査により擦文時代の出土品から同時期にあった乙部町小茂内遺跡・松前町原口遺跡と同様の、台地上に壕を巡らせた防御性集落ということがわか…

十勝郡浦幌町 十勝太Dチャシ跡

浦幌十勝川(旧十勝川本流)の湾曲部左岸側の崖上にあるチャシ跡で、1934年(昭和9年)に発見され一条の壕があったとされますが、現在はチャシの主要部ともども開発行為により破壊され見ることはできません。 チャシは面崖式と呼ばれるタイプです。 この遺跡…

十勝郡浦幌町直別 オタフンベチャシ跡

オタフンベチャシ跡は、道道1038号直別共栄線を厚内から釧路方面に海岸線を行った左大カーブの内側にあり、海岸に向かって細長く馬の背状に伸びた丘陵先端部の独立した高所にあるチャシで、形状としてはお供山型になります。国指定史跡指定年月日:1981.08.2…

標津郡中標津町 中標津神社チャシ跡

中標津神社の石段左側斜面中腹の平場には、チャシ跡と言われる場所があります。 チャシの種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式等があり、中標津神社チャシは面崖式の一つで、アイヌの砦跡というよりは祭事や談判場所のような気がします。 説明板…

日高郡新ひだか町静内目名 国指定史跡「シベチャリ川流域チャシ跡群」メナチャシと稲田家臣団

メナチャシは、静内市街地から静内川上流に向かった途中の右岸側台地の縁にあって、御殿山チャシまたは文四郎館とも呼ばれています。 御殿山公園と稲田家臣団 チャシのある御殿山公園の辺りは徳島藩洲本城代家老稲田家と深い関わりを持った地域であり、稲田…

新冠郡新冠町高江 ピポクチャシ(新冠判官館[ハンガンダテ]) 義経ロマン伝説とアイヌ伝説「ピポクの黒狐」の地

ピポクチャシは新冠泥火山の傍にある南方丘陵先端にあって、アイヌの砦跡や祭事場所と言われる所です。 チャシの種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式等があり、ピポクチャシは丘先式の一つです。 このチャシ跡は、北海道でおなじみの義経ロマン…

赤平市 赤平徳川城

赤平市の外れに行くと国道から山の上にお城が見えます。 この建物はもう倒産した人形メーカーの「人形工房徳川城」が建てたショールーム兼製造工場だったもので、4層6階建ての天守は立派なものですね。 今でも赤平に行くときには目立つシンボル的な存在です…

【道南十二館】函館市志海苔町 志苔館(しのりたて)

道南十二館の一つ志苔館(しのりたて)跡は、函館市志海苔町にあり函館空港の直ぐ側にある中世の館跡で、標高17~25m程の海岸段丘縁にあり館跡からは南西側の函館山と市街地および津軽海峡、さらには遠く下北半島などを一望することができます。 画像は函館…

虻田郡豊浦町礼文華 「カムイチャシ」を訪問

豊浦町の大岸と礼文華の境目にある、海岸線を分断するように内浦湾に突き出した断崖の岬があって、その上部先端にはアイヌのチャシ跡があります。 チャシの種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式等があり、カムイチャシは丘先式の一つです。 カム…

茅部郡森町砂原(旧砂原町) 国指定史跡「東蝦夷地南部藩陣屋跡 砂原陣屋跡」を訪問

南部藩砂原陣屋跡は、北海道茅部郡森町砂原3丁目(旧砂原町四軒町)にあり幕末に幕府が仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じ、そのうちの南部藩により作られた陣屋跡です。旧砂原町市街地の噴火湾沿岸から約100m離れた標高約13m…

函館市桔梗 三陵郭といわれる場所と比遅里(ひぢり)神社

産業道路と国道5号が交差する場所の七飯側にあり、比遅里(ひぢり)神社の境内にあります。 参道から土俵及び先端部を見る 土俵から五稜郭方向の斜面肩 土俵周りの土塁は後年この土俵が作られた時代のものだと思う。だってこんな狭い所に籠もってたら砲弾一…

函館市神山 権現台場跡と旧東照宮(現:神山稲荷神社)

権現台場は函館市神山3丁目18-1にあり、五稜郭の北方を守るため急造された四陵郭との中間に位置し、地形的には四陵郭のある台地が南方に伸びた先端部の、旧東照宮があった高台に築かれた野戦陣地的なものです。 旧東照宮社殿は官軍の手により焼失し、現在は…

北斗市(旧上磯町)野崎 国指定史跡 松前藩戸切地陣屋跡

戸切地(へきりち)陣屋跡は、幕末期の箱館開港に伴い幕府が松前藩に命じて1855年(安政2年)に作らせた陣屋で、直接的な海岸防衛を意識しないで内陸に作った出城みたいな防衛拠点です。張り出しのある砲郭も陣屋自体の防御の為の張り出しであって、街道筋や…

北斗市(旧上磯町)矢不来(やふらい) 北斗市指定史跡 矢不来台場跡

北斗市矢不来(やふらい)の急傾斜の上にある台場跡(砲台跡)で、幕末期の外国船からの防備を任された南部藩によって築かれました。 ここは函館湾の入り口にあたり、対岸の函館山の下にあった押付台場と対をなす施設です。ただ、矢不来台場と押付台場の距離…

【道南十二館】北斗市(旧上磯町)矢不来 茂別館(もべつだて)

道南十二館の一つ茂別館(もべつだて)跡は、茂辺地集落を流れる茂辺地川左岸の台地上にあり、1443年(嘉吉3)津軽十三湊(とさみなと)城主の安東盛季が南部氏に敗れて北海道に渡ってきたときに築造され、安東政季が1454年(享徳3)から1456年(康正2)まで居…

松前郡松前町 国指定史跡 福山城(松前城)

松前城(一般的にはこっちの名前のほうが有名ですね)は、幕末期における日本最後の日本式城郭として、すでにこの地にあった福山館を拡張する形で築城されました。(1854年(安政元年)完成、面積約7万7800平方メートル、本丸、二の丸、三の丸、楼櫓6、城門1…

檜山郡上ノ国町 大滝古戦場(箱館戦争)

大滝古戦場は、上ノ国町から松前に向かう途中の小砂子(ちいさご)という集落の手前にあって、箱館戦争時に松前城を落とした旧幕府軍土方隊と松前藩兵が戦闘を行った場所です。 以下は上ノ国町教育委員会HPから。 大滝の古戦場(箱館戦争) 国道228号線の大…

【道南十二館】檜山郡上ノ国町 比石館跡

道南十二館の一つ比石館(ひいしたて)跡は、上ノ国市街地から松前方向に行った石崎という集落の、石崎川左岸に突き出した岬上にあります。岬の下には漁港があって現在は使われていない漁港トンネルもあります。 畠山重忠の一族で厚谷右近将監重政が築城した…

【道南十二館】檜山郡上ノ国町 花沢館跡

道南十二館の一つ花沢館跡は、上ノ国町にある天の川河口付近の左岸丘陵の尾根状になった所にあって、「上之国館跡」のうちの「花沢館跡」として国の史跡に指定(1977.04.12(昭和52.04.12))されました。 蠣崎 季繁(かきざき すえしげ)《 寛正3年5月12日(1…

日高郡新ひだか町静内真歌 シベチャリチャシ跡

1669年(寛文9年)、松前藩による不公平な交易などに不満をつのらせたアイヌ民族は、自身の集団間で起きた対立をきっかけに武装蜂起しシャクシャインの戦いが起きました。 シベチャリチャシはそのリーダーであるシャクシャインの拠点だった場所です。 一時期…

網走市 桂ヶ岡砦跡(桂ヶ岡チャシ跡)に訪問

国指定史跡(昭和10年12月24日指定) オホーツク海 をのぞむ桂ヶ岡の小高い丘に築かれたアイヌの砦(チャシ)跡で、自然の断崖を利用し周囲には壕をめぐらせています。アイヌの人々はここで相対し、交易や祭祀、チャランケ(談判)をしたことから、別名:チ…

伊達市 館山チャシ跡を訪問

館山チャシ跡は伊達市館山公園の丘陵先端部にあって、三方は崖で守られていて残る一方には二重の壕で区切られていますが、北側面は昔神社があったことから地形が改変されています。 公園の一番高いところにチャシ跡がありますが、写真右に見える細長い盛土地…

山越郡長万部町 史跡 東蝦夷地南部藩ヲシャマンベ陣屋跡に訪問

南部藩ヲシャマンベ陣屋跡は、北海道山越郡長万部町陣屋町にあり幕末に幕府が仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じ、そのうちの南部藩により作られた陣屋跡です。 神社下にある説明板と碑 史跡 東蝦夷地南部藩ヲシャマンベ陣屋跡 …

室蘭市 史跡 東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡に行ってきました

東蝦夷地 南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡とは 以下は、室蘭市HPから 陣屋が造られた背景 この陣屋が造られたのは江戸時代の末期。ロシア・アメリカなどの異国船が相次いで来訪し、北海道を含む日本列島の北方域は諸外国の侵犯に脅かされていました。このため江…