page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

山越郡長万部町 史跡 東蝦夷地南部藩ヲシャマンベ陣屋跡に訪問

南部藩ヲシャマンベ陣屋跡は、北海道山越郡長万部町陣屋町にあり幕末に幕府が仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じ、そのうちの南部藩により作られた陣屋跡です。

神社下にある説明板と碑

f:id:ksn-bee:20180911215620j:plain

史跡 東蝦夷地南部藩ヲシャマンベ陣屋跡

 安政二年(1855年)南部藩は、恵山岬から幌別までの沿岸一帯の警備を幕府より命じられ、箱館(函館市)に元陣屋を、室蘭に出張陣屋を、砂原・長万部には分屯所を設けることにしました。
 ヲシャマンベ陣屋は室蘭の出張陣屋と同じく安政三年(1856年)に構築されましたが、安政四年(1857年)十二月に長万部沿岸が砂漠遠浅のため、外国船が容易に近づけないことから、陣屋の必要性がなくなり、南部藩は自藩に引き上げました。
 渡島北部における唯一の近世史跡として昭和49年8月に国指定文化財(史跡)となりました。

 現在も当時の壕や土塁の跡が残っていますが、郭内には飯生(いいなり)神社が昭和8年に遷座してきており、一部の土塁が無くなっている気がします。

大正6年、昭和3年鉄道修正地形図

f:id:ksn-bee:20180911205426j:plain

地形図から陣屋の位置は長万部川右岸の高台の端に位置していることが判ります。

南側

f:id:ksn-bee:20180911215629j:plain

f:id:ksn-bee:20180911215757j:plain

f:id:ksn-bee:20180911215805j:plain

掘削されたものか当初からあったのかは不明な出入り口

f:id:ksn-bee:20180911215749j:plain

郭内中央部

f:id:ksn-bee:20180911231640j:plain

北側

f:id:ksn-bee:20180911215713j:plain

北側にある忠魂碑と背後に土塁

f:id:ksn-bee:20180911215721j:plain

神社裏へと開いてる出入り口

f:id:ksn-bee:20180911215730j:plain

社務所裏で途切れた土塁

f:id:ksn-bee:20180911215740j:plain

1年で放棄された陣屋なので見るものは土塁しかありませんが、歴史の浅い北海道の中では貴重な幕末史跡ですね。

近くには遺跡の標杭がありこの辺り一帯は縄文遺跡もあります。

f:id:ksn-bee:20180911233616j:plain

北の遺跡地図から

f:id:ksn-bee:20180911233700p:plain

www.moiwa-orosi.com

www.moiwa-orosi.com