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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

函館市神山 権現台場跡と旧東照宮(現:神山稲荷神社)

 権現台場は函館市神山3丁目18-1にあり、五稜郭の北方を守るため急造された四陵郭との中間に位置し、地形的には四陵郭のある台地が南方に伸びた先端部の、旧東照宮があった高台に築かれた野戦陣地的なものです。

 旧東照宮社殿は官軍の手により焼失し、現在は神山稲荷神社となっています。1865(元治2)年に建てられた石鳥居(五稜郭や弁天台場の石垣を手がけた石工の作)には弾痕があり戦闘の激しさを物語っています。また、かつてここにあった手水鉢にも弾痕があり、現在は北海道東照宮に移設されています。

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旧東照宮(昭和44年)

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四稜郭び権現台場の戦闘

 明治二年五月十一日、榎本軍側は四稜郭、東照宮方面へは松岡四郎次郎を長とする一連隊、梶原雄之を長とする衝鋒隊、それに砲兵隊を配置し、四稜郭には四つの砲座のうち山側の二座に砲を配置し、更に付近一帯には散兵壕(ごう)を構築するなどして守りを固めていた。また、東照宮境内正面向かって左側段丘上にも砲座が設けられ、小型の大砲が配備されていたらしい。
『岡山藩記』(要約)には、「五月十一日午前三時、街道に集合した先鋒岡山藩一中隊、徳山藩一中隊、長州藩の臼砲二門は撒隊にて赤川山手台場に進軍発砲したところ、賊は敗走したのでこの台場を占領し、それより神山四稜郭の北方山手より岡山藩精鋭隊一小隊、徳山藩一小隊、東方の山峰より岡山藩三番隊一小隊が攻撃をかけたところ、榎本軍は大、小砲を激しく打ち出し頑強に抵抗、東の山手へ撒隊を廻し挟撃の形勢をみせたので官軍側苦戦となる。この時本道進撃中の福山藩一小隊が増援され、更に四稜郭の南に位置する権現台場(東照宮)を長州藩が攻撃、激戦の後これを占領、ただちに南方より四稜郭の攻撃を開始した。このため四稜郭は南北より挟撃されることになり、榎本軍はついに朝六時ころ四稜郭より壊走した。」とあります。

四稜郭東照宮略図 市立函館図書館蔵

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神山稲荷神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
寛政8年旧9月創祀、貞享3年佐々木佐四郎の祖、陸奥国七戸の住人佐四郎法国、蝦夷地に移住の時故郷より御神体を奉持し来て上の山(神山村)に小祠を建立する。元禄5年上の山地区は次第に人口が多くなり、佐四郎村民に議り、上の山村の鎮守の神として祀る。寛政8年旧暦9月、亀田八幡宮社司藤山和泉正季房、上の山地区に社殿を建立する。その後村民で産土神として祀って来たが、人口減少で同村鍛治稲荷神社に明治45年合祀されるが、戦後人口増になり、昭和42年宗教法人設立、元の通り産土神となる。

【所在地】
〒041-0832 函館市神山3丁目18番1号
電話 0138-41-5467 
【例祭日】
8月23日
【祭神】
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
【旧社格】
 

【社宝等】
鳥居(元治2年)

【特殊神事】
松前神楽

神山開基三百年碑

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大坂御影石の石鳥居 1865(元治2)年建立 石工は五稜郭や弁天台場の石垣を手がけた井上喜三郎で亀田八幡宮の狛犬(1863(文久3)年)や明治8年の松前港 福山波止場にも携わっています。

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右:奉 元治二年乙丑
左:献 四月十有七日

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鳥居に残る弾痕

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手水舎(手水鉢にはカバーが掛けられています)

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狛犬

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権現台場のあった郭内の平坦部

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神社裏手には土塁が残されています。

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忠魂碑(昭和13年建立、元は桔梗近江孫吉所有地にあったが戦中旧亀田村役場向い地に移設、さらに昭和22年頃に神山稲荷神社境内に移設)

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台場から北の方向には四稜郭がある高台が見えます。この道路は昔の連絡道路の名残だったのでしょうか。

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台場からは五稜郭タワーが見え函館湾方向の視界も開けています 

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