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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

北海道内の訪問記-石碑・忠魂碑・記念碑・顕彰碑など

【頌徳碑】留萌市三泊町 田中竹次郎翁頌徳碑

田中竹次郎翁頌徳碑(昭和11年5月建立) 国道沿いからちょっと離れた小高い場所に石碑はあり、三泊集落の功労者であった故人を称える碑で、現在は訪れる人も少なくひっそりと佇み、歴史の中に埋もれた感じさえします。 【以下は碑文から】 頌徳碑田中翁名ハ…

【慰霊碑】増毛郡増毛町 忠魂碑と津軽藩士横岡光喜墓石

増毛市街地の外れには移設されてきただろう忠魂碑と津軽藩士の墓があり訪問しました。 旧増毛小学校と道路を挟んだ高台にあり、道路からは石段が伸び上がったところに鳥居があります。 敷地は結構広く、その奥にちょこんと立派な忠魂碑がある区画がありまし…

【慰霊碑】増毛郡増毛町阿分 「遭難之碑」 ~信砂川鉄橋より転落した列車の犠牲者を悼んで~

増毛町阿分の信砂(のぶしゃ)川右岸側に遭難之碑があり、昭和21年11月に列車事故の犠牲者を慰霊及び後世に伝えるために建立されました。 昭和21年3月14日、大雪の悪天候の中で留萌発増毛行5両編成の満員列車は19時過ぎに予定より遅れて礼受駅を出発したが阿…

【慰霊碑】北海道留萌管内 三船殉難事件 慰霊碑訪問 ~終戦後に北の海で散った樺太疎開者1700名の生命~

三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、終戦(ポツダム宣言受諾)直後の1945年(昭和20年)8月22日に北海道留萌沖にて、樺太からの緊急疎開船3隻(小笠原丸・第二号新興丸・泰東丸)がソ連の潜水艦(L-12、L-19)の攻撃を受け小笠原丸・泰東丸が沈没…

【顕彰碑】苫前郡苫前町香川 苫前水田発祥の地碑(原碑は藤田万助君記念之碑銘)

苫前のトママイ脇陣屋跡の近く国道232号傍にある立派な石碑です。 古丹別川原野における水稲試作を初めて成功させた方であり、北海道稲作史の上でも重要な意味をもつ人物である藤田万助翁(明治28年12月没)を讃える碑 原碑は藤田万助君記念之碑銘なのに、台…

【慰霊碑】檜山郡上ノ国町大安在 昇平丸最期の地 供養塔

昇平丸(しょうへいまる)は、幕末に薩摩藩が幕府に対して当時薩摩の庇護下にあった琉球王国の防衛を名目に建造した洋式軍艦であり安政元年12月12日(1855年1月29日)に竣工しました。 嘉永7年5月10日(1854年6月5日)に竣工した鳳凰丸に続いて日本で2番目の洋式…

【記念碑】新冠郡新冠町 大狩部の御野立所(おのだてしょ)とトド岩

新冠町大狩部(おおかりべ)の旧道には、明治44年9月に皇太子だった大正天皇が新冠御料牧場行啓の際、ご休憩された高台があり、その麓の湧水を使って御茶をお召し上がりになられた場所でして、太平洋が一望できます。 その後も皇太子時代の昭和天皇や、常陸…

【慰霊碑】函館市若松町 「土方歳三最後の地碑」を訪問

箱館戦争の末期に土方歳三が銃弾に倒れたという一本木関門跡に近い若松緑地公園に、土方歳三最期の地碑が建っています。 明治2年(1869年)5月11日、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で新政府軍の箱館総攻撃が開始され、弁天台場が新政府軍に包…