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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【慰霊碑】増毛郡増毛町 忠魂碑と津軽藩士横岡光喜墓石

増毛市街地の外れには移設されてきただろう忠魂碑と津軽藩士の墓があり訪問しました。

旧増毛小学校と道路を挟んだ高台にあり、道路からは石段が伸び上がったところに鳥居があります。

敷地は結構広く、その奥にちょこんと立派な忠魂碑がある区画がありました。

石段を上ったら広い敷地があり、奥には忠魂碑が。

敷地の左端にある石碑

開道百年記念「開町先人功労者追恩之碑」町村金五書

昭和43年7月建立 増毛町

 

 

忠魂碑 

石灯籠一対(昭和16年建立 相馬仁太郎)

 

相馬仁太郎…見た記憶がある名前だなと思ったら、阿分稲荷神社の三ノ鳥居に願主として刻まれてた人物だ。

 

大きなアカシアとイチイの木

 

 

忠魂碑

題字は第三軍司令官乃木希典書

四面に日露戦争及び太平洋戦争での多数の戦病死者の名前が記されており、特に日露戦争で目立つのが旅順二〇三高地の文字でした。

 

忠魂碑区画の片隅に建つ小さな忠魂碑

表:三十七八年戦役増毛町出生軍人「戦死者忠魂碑」

裏:増毛軍人後援會 愛國婦人會増毛町會員

何も書かれていないコンクリート製の石板

 

津軽藩士横岡光喜墓石

1810年(文化7年)北蝦夷地(樺太)警備の任務を終え、増毛の越冬陣屋で越年してるとき病で亡くなった津軽藩士横岡五郎作光喜を、弟である横岡杢太夫元喜が1813年に増毛を訪れた際に供養するために建立したもの。

弟元喜は北蝦夷地(樺太)警備に向かう険しい旅路の中で、往路と復路で2度増毛に立ち寄り、そのたびに兄の墓参りをしている。

墓参の様子は横岡家文書の一つである「忍ぶ草」に本文と絵巻として描かれ、「なつかしき春やむかしの花の兄」と和歌で元喜の思いがつづられている。

 

なにか書いてあるが不明な石碑

 

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