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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【陣屋跡】石狩市浜益区 荘内藩ハママシケ陣屋跡

 ハママシケ陣屋跡は浜益川右岸の丘陵地にあり、安政6年(1859)9月に北方警護の必要性から幕府は浜益から天塩までの領地を荘内藩に与え、藩はその拠点として元陣屋を建設(万延元(1860)年)しました。防衛の拠点である本陣を元陣屋(もとじんや)というのに対して、支所的な存在を脇陣屋(わきじんや)もしくは出張陣屋(でばりじんや)といいます。)集落のある海岸線ではなく山陰の谷間に作ったのは、冬期の猛烈な暴風雪から逃れるためだと言われています。

陣屋は警護だけの目的だけではなく周辺の開拓としての拠点も兼ねており、この地域だけでも8箇所の村ができています。陣屋内には約200人余の藩士が暮らしており、その中には後に開拓大判官となる『松本十郎』も含まれていました。

その後戊辰戦争が勃発し、慶応4年(1868年)には引揚げが始まり約7年間の陣屋としての役割も終わりました。

所在地:石狩市浜益区川下

国指定史跡:昭和63(1988)年5月17日指定

指定面積:167,809.50平方メートル

建設年:万延元(1860)年建設、荘内藩(庄内藩とも書く。正式には鶴岡藩)

大正8年測図地形図

下の画像は石狩市HP史跡荘内藩ハママシケ陣屋跡から

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