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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

留萌市礼受町 礼受(れうけ)厳島神社

正式名称は厳島神社(いつくしまじんじゃ)だが、アチラコチラにあることから便宜上、地名を付けた形で以降呼ぶこととします。

礼受厳島神社は、北海道留萌市礼受町93番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で例祭日は7月3日。

 国道231号沿いに神社はあり、平地の境内は狭くコンパクトに纏まっています。
境内にある鳥居・狛犬・手水石のどれもが、大東亜戦必勝祈願と刻まれていて大漁祈願がないのが珍しく思えました。

礼受地区

かつての礼受(れうけ)村であり、明治初年(同2年8月から同6年の間)から明治35年(1902)まで存続した村で、明治35年に留萌村と合併、二級町村留萌村となり礼受村は消滅しました。

「北行日記」に「アツフシラリ」の東は留萌郡で、「此辺ヲレウケ村ト云フ」とある(明治三年八月二二日条)。明治六年に礼受村とみえ、戸口は一〇戸(平民三・アイヌ七)、四四人(平民一四・アイヌ三〇)、寄留は二二戸(平民)、男三七人・女一五人(天塩国地誌提要)。

 礼受の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
レウケ<rewke-p>曲りたる所{曲がっている・もの}岬を出て、曲っている所に名付く。〈5万分図で見ると直線の海岸に見えたが、行って見ると、やはり若干カーブを描いている場所だった。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正8年測図、昭和6年鉄道補入地形図

礼受厳島神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 天明6年松前郡福山の栖原彦右衛門が旧7番地に創祀したと伝えられ明治9年村社となる。大正8年旧地は鉄道敷地となったことから、現在地を買受け同年9月5日移転完成、現境内地に遷座した。昭和21年宗教法人となった。
【所在地】
〒077-0035 留萌市礼受町93番地
【例祭日】
7月3日
【祭神】
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
【旧社格】
村社

御影石の鳥居(昭和18年6月建立)と社号標(昭和19年6月吉日建立)

社号標(裏には奉納昭和19年6月吉日)

鳥居には表側:大東亜戦・戦勝祈願、裏側:奉納・昭和18年6月とあります

 

 

石灯籠一対(建立年は風化して判読不能)

 

手水舎

手水石(奉納年不明・表:必勝祈願、裏:留萌町長岡田佐市謹書)

狛犬一対(昭和18年6月吉日建立、台座に必勝祈願)

 

 

拝殿内には必勝祈願がなく厳島神社らしい絵がありホッとしてます(笑)

裏では急傾斜地崩壊防止工事が行われており、デカいクレーンが追加のアームを付けて動いていました。

神社正面の礼受漁港

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