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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

増毛郡増毛町阿分 阿分(あふん)稲荷神社

正式名称は稲荷神社(いなりじんじゃ)だが、アチラコチラにあることから便宜上、地名を付けた形で以降呼ぶこととします。

阿分稲荷神社(あふんいなりじんじゃ)は、北海道増毛郡増毛町阿分252番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は保食大神(うけもちのおおかみ)で例祭日は7月10日。

国道231号を留萌から増毛方向進むと右手に阿分漁港があり、そこから150mほど進んだ先に白い鳥居が見え駐車場もあるのでわかりやすいです。

ひらがなで「あふん」と書くとなんだか色っぽい地名ですが、元のアイヌ語の意味は怖いのですよ!

阿分(あふん)地区

かつての阿分(あふん)村であり、明治初年(同2年8月から同6年の間)から明治33年(1900)まで存続した村で、明治33年7月に増毛村を含む九ヵ町六ヵ村の合併により増毛町となり、阿分村は消滅しました。

舎熊(しやくま)村の北にあり、南は信砂川、北はアフシラリ川(留萌市境)が流れる。明治6年の「天塩国地誌提要」に阿分村とみえ、二三戸・一〇七人(平民)の定住があり、寄留者は男一五四人・女六人(戸数は六戸と記載)であった。同12年の「共武政表」に戸数二九・人口一二〇、船舶四、物産は鰊・鮭・鮑・煎海鼠・薪・炭とある。同24年には一〇五戸・六〇一人、学校一、馬二、五〇石以上船一・艀漁小廻船四八七(徴発物件一覧表)。おもな鰊建網の親方に松江・相内・田中・石田などの諸家があり、数ヵ統から十数ヵ統を経営する者もいました。

 阿分の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。

アフンイ、アフニ<ahun-i>入り込みたる所〈入る・所=入口〉〈どこかへの入口だったろうか。また方々の土地にアフンルパ(ahun-ru-par(あの世へ)入る・路の・口。→通称地獄穴)と呼ばれる洞穴がある。あるいはその意だったのかもしれないが。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正8年測図、昭和6年鉄道補入地形図

阿分稲荷神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治27年阿分村々民が協議の上、山城国官幣大社稲荷神社より御分霊を奉斎し、有志の寄付金を得て同27年11月創立を出願し、同29年6月許可をうけ、同34年7月建築物が完成した。同43年6月25日村社に列せられた。昭和21年宗教法人となる。
【所在地】
〒077-0131 増毛郡増毛町大字阿分村字タントシナイ252番地
【例祭日】
7月10日
【祭神】
保食大神(うけもちのおおかみ)
【旧社格】
村社

社号標(昭和12年建立)

 

一ノ鳥居(昭和10年建立)

 

無人の社務所

二ノ鳥居(昭和15年建立)

左:奉納 刺網業者一同 右:紀元二千六百年

 

二ノ鳥居を過ぎ階段手前は旧増毛線の線路がありましたけど、現在はありません。(当時も踏切なし)

増毛線跡の左右状況

 

三ノ鳥居(昭和18年6月建立)

左:願主 相馬仁太郎 右:昭和十八年六月

 

石灯籠一対(昭和10年建立)

 

右手に小振りな手水舎(手水石の奉納年は不明))

 

狛犬一対(紀元二千六百年[昭和15年]建立)

 

 

 

 

社殿左側に神輿庫?

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