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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

留萌市礼受町 国指定史跡「旧留萌佐賀家漁場」

旧留萌佐賀家漁場は北海道留萌市礼受町13番地の1にある史跡で、かつてのニシン漁で栄えた時代の建物群がそのまま残り現在に伝える場所です。

旧留萌佐賀家漁場について

 佐賀家漁場は、江戸時代の弘化元年(1844)に佐賀家8代平之丞が礼受に漁場を開き、それ以来、昭和32年(1957)まで113年間にわたってニシン漁を営んできた漁場です。

 佐賀家は陸奥国南部田名部領内の下風呂村(現在の青森県下北郡風間浦村下風呂)に在住し、代々漁業・海運業を営み、蝦夷地とも交渉をもっていたが、弘化元年(1844)7代佐賀清右衛門は平之丞(8代)を留萌場所の礼受に赴かせ漁場を開設しました。佐賀家の屋号「因」(カクダイ)は、松前の田中藤左衛門の屋号ですが、場所請負制下では松前の人別である必要があったため、名義を借り漁場の経営を行いました。安政4年(1857)には留萌場所の出稼人所有の鰊釜のおよそ15%を、文久3年(1863)には同場所の出稼人所有の建網数のおよそ10%を占めるまでに経営規模を拡大し、請負人以外では最大の漁場経営者になりました。

 礼受のこの場所は元場と呼ばれて、佐賀家の留萌における根拠地として代々受け継がれてきた場所です。敷地には、ニシン漁に使った建物群や干し場、船着き場などの施設があり、丘陵上に漁業信仰にかかわる稲荷社を設けた様相は、一体として往時の漁場景観を良好に残すもので往時のニシン漁場の姿を知ることができるものとして類を見ないものです。

【母屋】(番屋)

漁期の親方の住居であり、ヤン衆(漁夫)たちが寝泊まりした場所

【廊下】
沖揚げしたニシンの一時貯蔵場所

【トタ倉】
加工したニシン製品を保管

【舟倉】
入り切らない舟の舳先が飛び出す、舟の倉庫

【網倉】
床下は風の通る空間があり。網が腐らない工夫がされたつくり

【稲荷社】
ニシンの大漁を祈念(現在、立入禁止)

この斜面の直下には廃線となった旧増毛線がありました

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