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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

中川郡池田町 利別神社

利別神社(としべつじんじゃ)は北海道中川郡池田町字利別本町14-9にある神社で神社本庁包括外神社です。御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)で例祭日は9月15日。

 利別川を挟んで左岸側が池田市街地、右岸側が利別市街地で神社は駐在所の斜め向かいにあり駐車や動作には余計な気を使います。
神社には鳥居と石灯籠、手水石があり狛犬は居ませんでした。
社殿右隣には小さなお社があり何が祀られているのかは不明(多分豊受さん)

池田町利別地区

 明治中期までは河道改修前の十勝川と利別川との合流点にあたっていた利別が港町として栄えていた。現在の中心市街は1896年侯爵池田伴博が開いた農場に始まり,1904年の鉄道開通以後急速に発展した。

利別の地名由来はアイヌ語なのですが、このあたりは利別太と呼ばれたことから、 トゥペッ ・プトゥ<tuspet-putu>利別川の河口の意味であり、利別川自体の意味は分かっていません。
利別川  トゥペッ <tus-pet>
・松浦武四郎『東蝦夷日誌』では”縄・川”[昔からこの川筋が釧路と十勝の境界となっていて、ときには境界争いが起きたという。十勝アイヌがこの河口に縄を張って、釧路アイヌを通さなかったため、この名が付いたという。
・永田方正地名解では”ヘビ川(直訳:綱・川)” [ヘビがいたためか、川が蛇行していたためかはっきりしない。]

大正9年測図地形図

利別神社

以下は、北海道神社庁誌(1999、絶版)神社本庁包括外神社の項から。
【由緒】
 明治三十二年頃には、社殿が建立されていた事を記する寄附木札が有り、現在地より北西のところにあったようである。同四十四年には、本殿改修の記録があり、その後大正六年十月に現在地に移転した。利別太の鎮守として崇敬され、祭神奉斎の経緯は明らかでないが、春秋の祭典は盛大に執行されていたようである。
【所在地】
〒083-0034 北海道中川郡池田町字利別本町14-9(北海道神社庁誌では14-17)
【例祭日】
9月15日
【祭神】
天照大神(あまてらすおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
【旧社格】
-

鳥居を過ぎ石灯籠一対(平成5年9月吉日建立)

 

小さな手水舎(奉納年不明)

 

 

社殿右隣の不明なお社

 

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