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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

河東郡音更町 音更中士幌神社

※中士幌神社は士幌町と音更町にそれぞれあり、それもお互い近距離なので紛らわしいため頭に音更と付けました。

中士幌神社(なかしほろじんじゃ)は、北海道河東郡音更町字豊田東7線25番地にある神社で旧社格は無格社。御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、例祭日は9月14日。

 最初は士幌町の中士幌神社に行くつもりが、ナビの案内されるままに着いた先は音更町の中士幌神社でした。夕方で時間もなかったのでこのまま参拝です。

古い地形図には蝶多中士幌という地名が見え、蝶多(ちようた)村(現池田町)の一部だったのかも。

中士幌神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 大正5年8月本殿を造営し伊勢の神宮神楽殿より神璽を拝授奉安し、地域住民の繁栄と無事息災を祈願したのが創祀である。大正6年神社用地5反歩を山角信次氏より寄贈され、境内社として地神宮を祀り境内に落葉松を植林する。昭和15年拝殿を新築し鳥居を建て替え狛犬・石灯籠を設置した。昭和17年馬頭観音堂を境内に設けた。昭和29年宗教法人となり、同30年社号標が奉納された。昭和44年忠魂碑を改修、同51年には鳥居も鉄製に改築された。昭和55年には拝殿の内外大改修が行われたが、昭和61年社殿を現在地に移転することとなり、新築された。平成2年開拓記念碑を神社横に建設し、併せて石灯籠1対が寄贈された。平成4年石灯籠1対が中井氏より寄贈、平成8年御神体拝授80年を記念して牧野氏より由緒書を寄贈され、境内の景観も一層整えられている。
【所在地】
〒080-0561 北海道河東郡音更町字豊田東7線25番地
【例祭日】
9月14日
【祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
【旧社格】
無格社

鳥居右隣に交通安全祈願碑とお地蔵さんかな?

石灯籠一対(紀元二千六百年記念 帝國在郷軍人會 音更村分會第十班とあり、昭和15年の事です)

 

石灯籠一対(平成2年9月建立)

 

手水舎(解団記念 中士幌青年●団 昭和16年4月とあり)

 

狛犬一対(昭和15年9月建立 長い台座が特徴的ですね)

 

 

拝殿前にどっしりとした形の石灯篭一対(金婚記念 平成4年9月15日建立)

 

地神宮碑

神社左に忠魂碑(昭和44年9月建立)

 

その隣に大きな開拓之碑(平成2年9月吉日建立 氏子中)

東北・北陸など各県から開拓に入った先人達の苦労と偉業を称えるとともに、この平和と繁栄を後世に伝えることを誓うという内容でした。

 

奥に故人の功績を称える碑が2つ並んでいて

右に「従六位勲五等 故脇原清輔翁頌徳碑」建立日不明
明治二十五年岐阜県に生れ音更村会議員を三十余年、この間音更町議会議長、十勝町村議会議長等を務め、いくつもの農業団体の要職にあって産業開発に努めた事を称えています。

 

左に「平田助市翁顕彰碑」昭和33年11月建立
明治17年岐阜県に生れ大正5年以降村会議員として、後道議会議員として十有余年、この間重要公職を歴任、特に農林行政開発等に寄与した功績を称える内容で、裏には碑の賛同者27名の氏名が刻まれその中のひとりに脇原清輔の名もある

 

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忠魂碑 昭和四十四年九月建之 氏子中


左に「平田助市翁顕彰」碑
明治十七年岐阜県に生れ大正五年以降村会議員として、後道議会議員として十有余年、この間重要公職を歴任、特に農林行政開発等に寄与した功績
裏には碑の賛同者27名の氏名が刻まれその中のひとりに脇原清輔の名もある


、右に「故脇原清輔翁聖徳」碑
明治二十五年岐阜県に生れ音更村会議員を三十余年、この間音更町議会議長、十勝町村議会議長等を務め、いくつもの農業団体の要職にあって産業開発に努め

 


開拓之碑平成二年九月建之
東北・北陸など各県から開拓に入った先人達の苦労と偉業を称えるとともに、この平和と繁栄を後世に伝えることを誓うという内容でした。