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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】河東郡上士幌町 上士幌神社

上士幌神社(かみしほろじんじゃ)は、北海道河東郡上士幌町字上士幌東4線243番地9にある神社で旧社格は村社。御祭神は大國魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、五百筒磐石神(いおづついわむらのかみ)で例祭日は9月20日。

最初、ナビで案内されて到着したのが拝殿隣の公園でして、一の鳥居や社務所はそれなりの比高差のある石段を降りた先にありました。

上士幌町

開拓の歴史は十勝の奥地ということでかなり遅く、1907年(明治40年)に安村治高丸(やすむらじこうまる)をはじめとした移転開拓者たちが上士幌地区の原野を開拓していきます。1926年(大正15年)に上士幌駅が開業し、帯広駅から上士幌駅までの士幌線が開通すると上士幌地区への入植者が増加。昭和の時代に入ると士幌村からの分村の機運が高まり、1931年(昭和6年)4月1日に士幌村(現在の士幌町)から上士幌、上音更、居辺の各一部が分村し、上士幌村が誕生しました。1954年(昭和29年)に町制施行し上士幌町となる。1987年(昭和62年)3月23日、士幌線の全線廃止に伴い上士幌駅は廃駅となる。

地名由来は単純に、『北海道 駅名の起源』(S48国鉄北海道総局)では「士幌川の上流域に位置することから。」とあります。
「士幌」の由来については「士幌神社」を参照。

大正9年測図昭和6年鉄道補入地形図 昭和10年ころ現在地に遷座なのでまだ神社記号はありません

左側の市街地外れの道路に神社記号がありこれが遷座前なのか?

上士幌神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 上士幌町の開拓の祖である安村治高丸が、明治40年小作農家10余戸と共に移住をし、郷里である富山県早星村に小作人の1人である高木太助を遣わし、早星神社の御祭神「五百筒磐石神」の御分霊を奉斎したのが大正2年2月のことであり、これを創祀とする。当時は現在のように交通機関が発達していたわけでなく、山を越え海を渡りこの上士幌にたどり着くまで高木太助は拝受した御霊代を自分の背中にくくりつけ、船の中でも不眠不休でお護りをし、自分の任務を果たした。その後、現在地に社殿を造営、昭和12年5月15日付けで無格社として創立許可を受け、昭和17年9月3日付で村社に昇格した。昭和27年3月27日付をもって宗教法人法による法人に認証された。昭和10年に造営された社殿も、老朽化が激しく、昭和52年に御造営の決議がなされ、昭和54年12月に神明造りの現在の社殿が竣工している。平成5年に御創祀八十周年事業として、参道改修・、神輿殿新築・授与所新築・車庫新築、事業費36,000,000円にて完成。又、昭和29年に建設された社務所についても改築の意見が出、平成9年に社務所改築事業奉賛会を設立し、総事業費1億円を要し、平成12年8月31日、171坪(566㎡)の社務所が完成。現在に至る。
【所在地】
〒080-1408 北海道河東郡上士幌町字上士幌東4線243番地9
電話 01564-2-2214
【例祭日】
9月20日
【祭神】
大國魂神(おおくにたまのかみ)
大那牟遅神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
五百筒磐石神(いおづついわむらのかみ)
【旧社格】
村社

 

石灯籠一対(昭和11年4月建立)

 

上士幌神社 御創祀百周年記念(平成26年4月20日建立)

宮司 山内豊一と刻まれており、氏は現在清水神社宮司ですね。現在の上士幌神社宮司は息子さんかな?

 

上士幌神社造営記念碑(建立日は刻まれていないが多分、昭和11年4月建立)

 

びっしりと名が刻まれている

市街地から一直線に伸びる旧国道の延長上にあります

石灯籠一対(昭和11年4月建立)

 

手水舎(手水石は昭和11年4月奉納)

 

左手に小さなお社と祖霊殿

お社に何が祀られてるのか聞きそびれ

狛犬一対(昭和11年4月建立)

 

授与所

清掃されてるのかすごい綺麗です

鈴緒に宮司からのお願いがありました

社殿左手に神輿庫

更に左に忠魂碑(S13)と平和の塔(H8)

社殿右手にさざれ石と君が代の歌碑

御朱印

鳥居横の社務所で頂きました

お忙しい中ありがとうございます。

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