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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】河東郡士幌町 士幌神社

士幌神社(しほろじんじゃ)は、北海道河東郡士幌町字士幌東4条2丁目1番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は大國魂神(おおくにたまのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少名彦名神(すくなひこなのかみ)の所謂開拓三神で例祭日は9月15日。

士幌市街地の住宅街の一角にある神社で比較的コンパクトに纏まった神社です

士幌町

士幌の開拓は十勝国の開拓が軌道に乗り始めた明治19年から、10年後の明治31年に岐阜で設立された美濃開墾合資会社一行(43戸)が入植したのが始まりです。

1898年(明治31年):美濃開墾合資会社の一行が中士幌に入植。
1913年(大正2年):堀田正恒が農地開拓を行う。
1921年(大正10年):音更村(現在の音更町)から音更村、東士狩(ひがししかり)村、凋寒(しぼさむ)村の一部が分村し、川上村(かわかみむら)となる。
1925年(大正14年):川合村(現在の池田町)のうち、大字居辺村の一部を編入。士幌線開通(1987年廃止)。
1926年(大正15年):川上村から士幌村と改称。
1931年(昭和6年):上士幌、上音更、居辺の一部が分村し、上士幌村(現在の上士幌町)となる。
1933年(昭和8年):池田町大字居辺村の一部(下居辺地区)を編入。
1962年(昭和37年):町制施行し、士幌町となる。

地名由来はアイヌ語ですが諸説あり特定されていません。
北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
・スポロ<suporo>滝の如き急流{激流の所}この所大岩石峨々として一つのシユホロをなしたり。松浦武四郎
 ・スオルペッ<su-oru-pet?>鍋川?昔アイヌが鍋を川に入れたためという。今士幌川というのは松浦地図に「シユポロ」とあるため誤ったものである。永田方正地名解
・(スホロペッ)(su-horo-pet)(鍋・を水につけた・川)〈語義のわからない名である。永田説は戦争があって、 鍋を水につけたまま逃げたとの伝説によったもの。その意味なら のように考えられていたのだろう。〉 山田秀三補足

士幌町HPでは『アイヌ語の「シュウウォロー」が転訛して名付けられたものだと言われています。”広大な土地”を意味した「シュウウォロー」の発音を訛って変化させ、今の町名「士幌」ができました。』
なんか変なこじつけ・・・

令和4年発刊の開町100周年記念誌「士幌のあゆみ 開町100年」には”広大な土地”なんて訳は一言も書いてなく鍋伝説の事が書かれていて、”広大な土地”なんて一体誰が考えついたのか?

個人的には鍋説推しですわ

士幌神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 大正13年10月20日、村内に神社がないのを遺憾として高橋惣太郎・坂本道夫・大口鶴五郎等が世話人となり、旧官幣大社札幌神社より開拓三神の御分霊を受け、東2条2丁目13番地に小祠を設けて奉斎したのが創祀である。昭和に入って開拓は進み戸数も増加し市街も充実してきたところから公認神社への昇格運動が起こり、昭和8年7月には士幌神社造営会が結成され、同年12月25日現在地に工費3700円で新社殿が竣工した。公認神社としての体裁を整えたところから、翌9年4月内務省に神社創立願を提出し、10年4月18日付けで無格社に列した。昭和11年3月13日付け村社に昇格。昭和29年宗教法人として認可された。昭和40年9月には建坪80.5坪の社務所が竣工した。昭和63年11月には士幌神社御造営奉賛会が発足し、平成3年9月10日諸工事が竣工し、同年9月13日遷座祭を執行、同年10月20日社殿・社務所竣工奉祝祭が挙行された。
【所在地】
〒080-1222 北海道河東郡士幌町字士幌東4条2丁目1番地
電話 01564-5-2507
【例祭日】
9月15日
【祭神】
大國魂神(おおくにたまのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
少名彦名神(すくなひこなのかみ)
【旧社格】
村社

 

さざれ石と君が代歌碑 なんか十勝管内の神社には多いですね

石灯籠一対(昭和8年8月建立)

 

手水舎(手水石は平成3年9月吉日奉納)

 

狛犬一対(紀元二千六百年記念とあり昭和15年のこと)

 

 

あれ?扁額が無いぞ

工事中の社務所とプレハブの仮授与所(最初、発電機とかあるもんだから建設工事事務所かと思っちゃった)

 

御朱印

仮授与所のインターフォン押して対応して頂きました

お忙しい中ありがとうございます。

www.moiwa-orosi.com