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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【参拝印】松前郡福島町宮歌 宮歌八幡神社

正式名称は八幡神社ですが、あちらこちらにあるので地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

宮歌八幡神社(みやうたはちまんじんじゃ)は、北海道松前郡福島町宮歌573番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で例祭日は8月20日。

宮歌集落の入口に当たる国道228号と旧道の分岐付近に神社はありました。境内地は細長く広くないのですが、2基の白い鳥居が目立つ神社です。

宮歌地区

 福島町宮歌はかつて宮歌村(みやうたむら)といい、東在の一村で宮歌川の流域に位置する。地名由来は不明で、福島町史には「宮歌 ミヤオタ(ミヤ・ 砂浜)」と消化不良的な解説が載っている。

 1731年(享保16年)の津軽一統志に「宮のうた 小川有 澗あり 家二十軒」とみえる。1702年(元禄15年)の元禄郷帳に「宮のうた村」、1727年(享保12年)享保十二年所附には「宮の哥村 此辺おやち沢迄一里」と記される。1834年(天保5年)天保郷帳(松前嶋郷帳)では宮之哥村。
 宮歌村文書、宮歌村旧記(北海道大学北方資料室蔵)によると、寛永三年(一六二六)西津軽鰺ヶ沢あじがさわ(現青森県鰺ヶ沢町)から六人の漁民が来て澗内(まないの)沢に定着し、当地に家を建てた。2~3年後には戸数も二〇軒ほどになり、澗内川で引網を張って鮭をとったという。

 宮歌村旧記によれば1635年(寛永12年)に二代松前藩主松前公広の三男松前八左衛門泰広の知行地となり、用人の加川喜三郎が江戸から下り、上鍋島(かみなべしま)から下根祭(しもねまつり)岬までを松前藩主より拝領したという。1804年(文化4々)に幕府直轄、1821年(文政4年)に再び松前藩領となる。この間、1739年(元文4々)から1877年(明治10年)頃まで、東隣の白符村との間で領地の帰属をめぐって村境争論が続き、この文書群が今日まで残る

 1906年(明治39年)4月1日 北海道二級町村制施行により、松前郡吉岡村、礼髭村、宮歌村が合併し吉岡村となり、1955年(昭和30年)1月1日 吉岡村は松前郡福島町と合併し福島町になりました。

宮歌八幡神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明暦元年(1655)知行主幕府旗本松前八左衛門泰広が 知行地の平安を祈り建立し、正八幡宮ともいわれ八左衛門使用の弓矢、連歌、くじ箱等が献納された。草創時の棟札が現在も残されており当初の別当は泉蔵坊でのち藤枝家が代々これを勤めた。その後元禄8年(1695)、寛延4年(1747)、安永4年(1775)と新社殿を造立している。この宮歌八幡社には近世初頭から明治にいたる宮歌村文書87点が保存されていて北海道内では1村古文書として貴重なものであると評価されている。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社(いなりじんじゃ) 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 宝暦10年創祀
川上神社(かわかみじんじゃ) 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと) 享保年創祀
恵比須神社(えびすじんじゃ) 事代主神(ことしろぬしのかみ) 明和5年創祀
産胎神社(さんたいじんじゃ) 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと) 嘉永3年創祀
氏子沢稲荷小社 宇迦御魂神 昭和2年創祀 合祀不明
【所在地】
〒049-1451 北海道松前郡福島町字宮歌573番地
【例祭日】
8月20日
【祭神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
【旧社格】
村社

鳥居脇には神社にはおなじみの水準点(一等水準点6361 H=3.4019m S61設置)

石灯籠一対(平成26年12月吉日建立 宮歌町内会)

 

手水鉢(奉納年不明)

二ノ鳥居

石灯籠一対(昭和12年5月吉日建立)

 

色を塗ったのか新しく見える社殿

 

裏手に境内社(御祭神は不明)

 

御朱印

福島大神宮にて参拝した証の写真を見せ戴きました。
正式な御朱印は無く、宮司印なので参拝印となります。

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