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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【参拝印】松前郡福島町白符 白符大神宮 北海道一のヒノキの巨木に圧倒される

白符大神宮(しらふだいじんぐう)は、北海道松前郡福島町白符544番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)で例祭日は7月15日。

国道228号から白符川右岸側の道に曲がりちょっと行くと神社はあり、昔訪問したときは木々が生い茂り薄暗い参道と社殿でしたが、今回訪問してびっくり!斜面の檜は伐木され光の当たる明るい神社になっています。そして下からあの巨木が目立つ様になっていました。

一ノ鳥居と社号標

白符地区

 福島町白符はかつて白符村(しらふむら)といい、東在の一村で白符川の流域及び福島村の南に位置する。
松前藩家老を勤めた松前景広の支配地とされ(「松前家家臣履歴書」中島家文書)、1700年(元禄13年)の支配所持名前帳によると松前藤兵衛(広保)の支配地。
1702年(元禄15年)の元禄郷帳に「しらふ村」とあり、1727年(享保12年)享保十二年所附に白府村と記される。1731年(享保16年)の津軽一統志に「しらふ 小船有 澗あり 家二十軒」とみえる。また「しらふ村より半里 をりかんない村迄」として「家数四、五十軒 船付の川有」と記される。「をりかんない村」は福島村のこと。1834年(天保5年)天保郷帳(松前嶋郷帳)では白符村とする。

白符の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
、チロ<cir-o-p>鳥・多き・所 永田方正地名解
福島町史には、『白符とは、アイヌ語のチロプに発し、古来から鷹(たか)の多い場所であったと思われ、塒(とや)の沢など鷹のねぐら(巣)のあったところで、『村鑑下組帳』でも「塒場、壱ケ所、塒之沢、近來鷹待無之、古來、此塒ニ而て白符之鷹待候ニ付、村名ヲ白符と申候由申傳」とあって、白符村と鷹との結び付きの強いことを強調している。』とあります。
また、北海道 駅名の起源では、『この地の字名「白符」からとったものであるが、以前この地方にはタカが群生しており、そのなかの一羽の白タカが長であったといわれているので、「白符」は「白タカ」の意と思われる。』とありますが、白タカ説は違う気がしますね。

1900年(明治33年)7月1日 松前郡福島村と白符村が合併し、松前郡福島村となる。
1944年(昭和19年)2月11日 町制を施行し、福島町となる。

白符大神宮

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 寛文6年松前藩松前美作守景広建立する。旧藩松前岩松直筆の額並に御附幕1張奉納あり。年中神事料として旧藩松前熊五郎廣昭より廩米4斗81俵と金1両年々賜り、嘉永3年に至りて廃せられ、村社列格後祭典修繕等白符村中にてこれを行う。昭和17年1月2日拝殿焼失し、同年10月15日神明造にて新築落成する。旧社格神明社は、明治9年10月、白符大神宮と改められ、村社に列せられた。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
恵比須神社 事代主神 享保2年合祀
熱田神社 日本武尊 明治4年合祀
鹿島神社 武甕槌神 明治4年合祀
稲荷神社 宇迦廼御魂神 宝暦8年創祀 大正4年合祀
荒神神社 素戔嗚尊 享保元年創祀 大正5年合祀
宇迦廼御魂神・素戔嗚尊
【所在地】
〒049-1301 北海道松前郡福島町字白符544番地
【例祭日】
7月15日
【祭神】
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
【旧社格】
村社
【社宝等】
樹齢約500年の桧は、開道百年記念の時、北海道の名木に選定された。

この鳥居そばのオンコもデカいですね

伐木のお陰で下から例の巨木がはっきり見えるようになりました

なだらかな勾配の階段

右側を歩くと手水舎には行けません^^;(奉納年不明)

 

石灯籠一対(建立日不明)

 

狛犬一対(平成15年7月15日建立)

 

左斜面上に不明なお社(扉には日と月の紋章)

 

札幌在住民にとって竹林って新鮮に見えるんです

社殿裏にはあの巨木

標板には推定樹齢約300年(S48時)とあり現在に直すと約350年になります。

んで、厳密にはヒノキ(桧)ではなく、ヒバ(ヒノキアスナロ)なのです。

穏やかな天気です

さて戻りますか

御朱印

福島大神宮にて参拝した証の写真を見せ戴きました。
正式な御朱印は無く、宮司印なので参拝印となります。

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