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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町白神 三社神社

三社神社(さんしゃじんじゃ)は北海道松前郡松前町白神871番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は海の神である住吉三神の[上筒男神(うはつつのおのかみ)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)]と、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)で例祭日は7月18日。

国道から白神川に沿って細い路地を上流200m程に行った右側斜面に神社はあり、道中はおろか到着地にも駐車できるスペースはなく、国道近くの僅かなスペースに駐車してテクテクと歩いてきました。

石段を上がると右に手水舎及び二連の鳥居があり、参道は左に直角に曲がっていまして奥に社殿があります。

白神地区

 かつては炭焼澤村(すみやきざわむら)といい、東在城下付の一村で渡島半島南西端に位置し、半島の突端は交通の難所である白神岬があります。

 このあたりは断崖絶壁の白神岬を回避し白神川をさかのぼって礼髭村に至る山道があり、その峠を「をんない峠」(津軽一統志)、あるいは「シラカミ峠」(松前志)、白神峠(「蝦夷日誌」一編)と称し、のちに礼髭村に至る道はスズキ沢を登る道筋に変更された(同書など)。現在、海岸線を白神岬経由で走る国道もかつては山越えのルートでした。

 白神の地名由来はアイヌ語からの転訛らしく、シラッカリ(シリ・アッカリ)〈山の・向こう〉シラットウカリ(シラル・トウカリ)〈岩の・手前〉が訛って白神となったと、「北海道の地名」(山田秀三)では述べています。

 一方、福島町史の白神岬の名前由来の説明では、「白神岬については、アイヌ語のシララカムイ(浪が岩に砕けている処)という説と、白い神様が祭られている処という説があり、古来神聖な岬として崇(あがめ)られてきた。この岬を越える船の水主(かこ)達は、必ず岬で「南無八幡大菩薩」と唱え、岬に拝礼して航海の安全を祈ることを通 例としていた。」とあります。

1727年(享保12年)享保十二年所附に炭焼沢とあり「坂の下 此間ニふなの木坂迄一里」、1731年(享保16年)の津軽一統志に「炭焼沢 家二軒」とみえ、1834年(天保5年)天保郷帳(松前嶋郷帳)にも炭焼沢村とみえる。

1923年(大正12年)4月1日、松前郡大沢村、上及部村、荒谷村、炭焼沢村が合併し、北海道二級町村の大沢村が発足し炭焼沢村としては消滅しました。
1954年(昭和29年)7月1日 、松前郡松前町、大沢村、小島村、大島村が合併し松前町となりました。

古い地形図には現在は無い古い山越えのルートが何本か見える

三社神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 正徳2年の創立と伝えられる。文化11年、文久2年に改築されている。明治9年村社に列せられ、同12年9月赤石稲荷神社拔岩稲荷神社を合祀する。同22年10月30日拝殿模様替が完成、明治44年4月26日恵美須神社、出崎稲荷神社を合祀、大正8年6月19日神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和21年宗教法人設立。詳細についての資料なし。
〈合併により合祀された歴史をもつ御祭神〉
赤石稲荷神社 倉稲魂命 明治12年9月合祀
拔岩稲荷神社 倉稲魂命 明治11年9月合祀
恵美須神社 八重事代主命 明治44年4月26日合祀
出崎稲荷神社 倉稲魂命 明治44年4月26日合祀
【所在地】
〒049-1524 北海道松前郡松前町字白神871番地
【例祭日】
7月18日
【祭神】
上筒男神(うはつつのおのかみ)
中筒男命(なかつつおのみこと)
底筒男命(そこつつおのみこと)
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
毎年例祭において、松前神楽を奉奏し、神楽の普及に努めている。

一ノ鳥居

二ノ鳥居

直角に曲がった参道

手水舎

奉納年は不明

 

神社にはおなじみの水準点(昭和43年設置 準基435 H=16.3006m)

石灯籠一対(建立日不明)

 

狛犬一対(小さめだが構え獅子型の素敵な狛犬です 建立日不明)

 

石灯籠一対(建立日不明)

 

なんか書いてあるけどよく分からず

 

社殿山側に赤いお社

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