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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町館浜 館浜稲荷神社

正式名称は稲荷神社ですが、あちらこちらにあるので地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

館浜稲荷神社(たてはまいなりじんじゃ)は、北海道松前郡松前町館浜286番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)で例祭日は7月10日。

国道から100mほど参道を上った先の高台に神社はあり、ここも蚊が多いなあ。そしてマムシもいそう。。。(2023年6月21日参拝ですが、『北海道警によると、21日午後3時50分ごろ、松前町館浜にクマが出没しました。(特徴:不明)』だそうで怖っ…)

館浜地区

 かつては根部田村(ねぶたむら)といい、1923年(大正12年)4月1日に松前郡根部田村、赤神村、札前村、茂草村、雨垂石村が合併し、小島村が発足し根部田村としては消滅しました。1954年(昭和29年)7月1日 松前郡松前町、大沢村、大島村と合併し、松前町を新設しその一部となりました。(いつから館浜の地名が名付けられたのかは不明で、地名由来は多分、道南十二館の禰保田館がある浜からでしょうね)

 根部田が地名として文書に出てくるのは、1702年(元禄15年)の元禄郷帳に「ねふた村」、1727年(享保12年)享保十二年所附に「ねぶた村」、1731年(享保16年)の津軽一統志に「ねふた 是迄一里 船澗有 家十五軒」と記され、1786年(天明6年)蝦夷拾遺では「家一〇戸たらず、二〇余人」、1834年(天保5年)天保郷帳(松前嶋郷帳)に根部田村とみえる。

根部田の地名由来はアイヌ語らしいのですが調べきっていないので不明といたします。

 当地には道南十二館の一つ禰保田館(ねぼただて)があり、松前家の歴史書である『新羅之記録』によると城主が近藤四郎右衛門尉季常で、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いで陥落しました。場所については記述がなく不明である。

館浜稲荷神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 享保9年創立。明治9年10月20日村社に列せられた。同31年社殿大破に付同年10月12日改築出願同年11月10日許可され、同32年1月20日竣工。昭和5年7月15日従来の位置不適当且つ社殿狹隘の故を以て現在地に移転改築の儀出願、同年9月26日許可せられ同年10月30日落成遷座する。同18年7月8日神饌幣帛料供進神社に指定。
【所在地】
〒049-1641 北海道松前郡松前町字館浜286番地
【例祭日】
7月10日
【祭神】
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
松前神楽 鎮釜湯立式

国道から脇道があり奥に社号標が見えます

 

坂道を進むと赤い鳥居が見えてきました

赤い鳥居が二基(昭和49年7月奉納)最近塗り直したばかりでキレイですね

 

手水舎(手水石は大正8年7月10日奉納)

 

 

丸に武田菱

 

 

 

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