page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町札前 渡海神社

渡海神社(とかいじんじゃ)は、北海道松前郡松前町札前128番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は木花佐久夜毘賣大神(このはなさくやひめのおおかみ)、事代主命(ことしろぬしのみこと)で例祭日は6月21日。

狭い旧国道沿いに住宅が並ぶ札前集落の中央部に神社はあり、道路が狭すぎて駐車場所にも困るくらいです。

神社は狭い境内なのでコンパクトに纏まっていますね。ちょうど例祭日の前日で宮司、総代や役員などが集まって神事を行っている最中でしたので、音を鳴らすのは控えて二礼だけしてきました。

一ノ鳥居

札前地区

 かつては札前村(さつまえむら)であり、1923年(大正12年)4月1日に松前郡根部田村、赤神村、札前村、茂草村、雨垂石村が合併し、小島村が発足し札前村としては消滅しました。1954年(昭和29年)7月1日 松前郡松前町、大沢村、大島村と合併し、松前町を新設しその一部となりました。

 札前が地名として文書に出てくるのは、1702年(元禄15年)の元禄郷帳に「さつまい村」、1727年(享保12年)享保十二年所附に「札前村 此所大禰崎迄合三十六丁一里」、1731年(享保16年)の津軽一統志に「さつまい 家二十軒、つま内 小川有 家五軒」とあり「つま内」については未詳。1786年(天明6年)蝦夷拾遺では「家一〇余戸・人四〇余人」、1834年(天保5年)天保郷帳(松前嶋郷帳)に札前村とみえる。

1669年(寛文9年)渡海神社が創立という(函館支庁管内町村誌)。

地名の由来は1824年(文政7年)の上原熊次郎「蝦夷地名考並里程記」によれば「夷語シヤツナイなり。則、乾きたる沢」の意。

渡海神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 寛文5年創立と伝わる。明治9年村社となるが、この間の沿革は不詳。地元漁業家が奉斎、崇敬してきた神社で度々社殿が移転されたという。明治32年4月社殿を改築、同年8月4日境内社恵比須神社合祀を出願し9月13日に合祀する。大正6年6月18日小島村大字札前村180番地に奉遷し、同10年6月18日本殿を造営と拝殿の増築を行う。昭和21年宗教法人法設立なる。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
恵比須神社 事代主命 明治32年9月13日合祀
【所在地】
〒049-1642 北海道松前郡松前町字札前128番地
【例祭日】
6月21日
【祭神】
木花佐久夜毘賣大神(このはなさくやひめのおおかみ)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
毎年例祭には、松前神楽を奉奏し、神楽の普及に努めている。

松前町HPまつまえの文化財より「難船図絵馬」

指定    町指定
区分    有形文化財
指定年月日    平成9年(1997)2月14日
所在地    松前町字札前
所有    渡海神社
江戸時代の船の航海は常に危険が伴うものであった。難船図絵馬は、松前城下の豪商、「//」(イチゼンバシ)恵比寿屋岡田家の手船「叶丸」の船頭「佐々木多六」によって、慶応3年(1867)4月に奉納されたものである。絵馬の作者は、大坂の絵馬師「吉川芦舟」である。
絵の内容は、船が荒波にもまれ、帆をおろし、今まさに転覆寸前という危機的状況の中で、瑞雲に乗った神が「御幣」に姿かたちを変えて助けに現れるという場面が描かれている。
なお、青森県深浦町の円覚寺には、渡海神社のものと同じ寸法・構図で、奉納者・製作者・時代も同一の絵馬が奉納されている。

一ノ鳥居前に石灯籠一対

 

一ノ鳥居(昭和39年6月21日、創立300年祭記念氏子一同)

 

手水舎(手水石は正面に松前菱、側面に行幸記念、昭和12年正月吉日奉納)

 

社号標

二ノ鳥居

外から見ると気が付かなかったのですが、近づいてみると薄暗い中に神事の真っ最中でした。

この辺りではあまり見なかったアヘ顔の狛犬一対(平成4年6月21日建立)

 

神社にはおなじみの水準点(準基433号 H=10.6318m S43設置)

実は旧道に面した左側石灯籠の隣にも一等水準点(6374号 H=5.9874m S44設置)があるのを後で知りました。

なんかこれも信仰対象?岩の間からかつては海が見えたのでしょう。

無人の社務所ですが今回だけは靴で溢れています

www.moiwa-orosi.com