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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】磯谷郡蘭越町目名 目名八幡神社

目名八幡神社(めなはちまんじんじゃ)は北海道磯谷郡蘭越町目名町527番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、保食神(うけもちのかみ)で例祭日は9月15日。

正式名は八幡神社ですが、アチラコチラにあるので地名を前につけて「目名八幡神社」と当サイトでは呼ぶことにします。

神社は、JR目名駅から北西方向に直線距離で750m程行った高台の縁にあり、道中も何箇所が曲がらないとならず、ちょっと分かりにくかったのですが最近は道に幟を沢山立てるようにしたみたいで解消しました。

蘭越町目名

以下は、蘭越町HPにある「まちの歴史」から目名に関する記述を抜き出して掲載。

安政3(1856年)岡田錠次郎(調役下役)、尻別川をメナ(現、名駒で尻別川と目名川の合流点))のやや上流までさかのぼる。
明治10(1877年)目名川の川尻に、津軽浜名村の浜名安蔵(俗称雑魚爺)が居住する。
明治16(1883年)岩手県人木村慶太郎、目名(現名駒)に入地、開墾に着手する。ついで辻元吉、福村市之進、木村才一郎らが移住。
明治18(1885年)尻別村総代古山文治ほか7名、函館県令にあてて、尻別川支流メナ川に、鮭魚種育場の設置を願い出る。明治19年1月7日に許可されたが、数年ののち閉鎖される。
明治29(1896年)11月河瀬秀治ら四名、中目名に304万余坪の貸付けを受け、翌30年より石川県から小作人を入れて開墾に着手する(目名農場)。明治33年 管理人平田敬信となる。
明治32(1899年)尻別村を二分して、南尻別村と北尻別村を置くことが告示される。
明治44(1911年)8月23日皇太子(のちの大正天皇)、南尻別村を御通過。目名駅には7分間停車、高齢者礼服を着て奉迎。
大正2(1913年)8月27日暴風雨のため、目名・熱郛間(現田下)において列車河中に転覆、即死7名、負傷者67名を出す。
同年9月14日~15日降霜あり。この年の稲作皆無、畑作も三分の凶作となる。
大正11(1922年)7月30日摂政宮(のちの昭和天皇)、函館本線にて御通過。村内4駅は徐行。摂政宮の御来道を記念し、目名市街より現貝川に至る道路を開削、記念道路と名付ける。
昭和2(1927年)中目名八幡神社境内に、忠魂碑(木柱)を建立。昭和12年8月16日 石碑(弘前第八師団長陸軍少将森本義一書)とする。
昭和16(1941年)5月11日中目名市街火災、17棟19戸全焼。
昭和29(1954年)8月29日天皇・皇后ご巡幸。
同年11月20日南尻別村を蘭越村と名称変更し、それを町とすることを告示(12月1日施行)。

 目名(めな)の地名由来はアイヌ語ではあるが、道南各地にあるメナ地名はどれも解釈がはっきりしていない謎地名だったりします。

 山田秀三著「北海道の地名」(S59、北海道新聞社)によると、『【目名川(めながわ)】ペンケ目国内川の川口から僅か上に、南から目名川が尻別川に注いでいる。諸地の目名と同じように、ここでも意味がはっきりしない。永田地名解は、尻別川筋ではメナは「細川」と訳している。永田氏は、尻別川筋は虻田のアイヌから聞いて訳をしたのだと書いている。
松浦氏西蝦夷日誌はこの目名の処で「メナ。其義解せず。同名処々に有。何れも平地にて水深く屈曲遅流の処也。恐は是を云うか。」と書いた。ただし必ずしも深い川ばかりではない。支流説、細流説、水溜り説、泉池川説等があるが、これも後人の研究に待ちたい。』

 北海道駅名の起源(S48、国鉄北海道総局)では目名駅の箇所で、「細い・枝川」説をとっています。

大正6年測図、昭和3年鉄道補入地形図

目名八幡神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 本社は明治39年11月27日創立発起人127名総代片岡厳・増田吉五郎外2名より北海道庁へ創立出願し、同40年12月17日を以て許可を得、同41年7月社殿建築工事に着手、同年12月18日落成に付先に社殿境内地とも神社名受に登記を完了し、同年12月28日届出、大正4年10月村社昇格出願し、大正5年2月17日村社に加列。同年8月2日神饌幣帛料供進神社に指定される。
【所在地】
〒048-1261 北海道磯谷郡蘭越町目名町527番地
電話番号 0136-55-3666
【例祭日】
9月15日
【祭神】
応神天皇(おうじんてんのう)
大国主神(おおくにぬしのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
松前神楽等

鳥居手前左側には忠魂碑 陸軍特別大演習記念とあり昭和12年8月16日 建立(弘前第八師団長陸軍少将森本義一書)

 

道路挟んで向かいには太平山三吉神社碑(昭和16年8月建立)

 

 

一ノ鳥居をくぐった先には夏詣を演出する風車と風鈴

 

手水舎(水盤は昭和5年8月奉納)

 

 

狛犬一対(行幸記念、昭和11年10月7日建立)新型コロナ感染対策バッチリです(笑)

 

 

 

石灯籠一対(御大典記念、昭和3年11月建立)

 

 

神輿殿

 

 

 

御神木

御朱印

社務所のチャイムを鳴らすと奥様が応対くださり、宮司は外出しており書き置きになりますがよろしいですか?と。書き置きがあるだけでも大歓迎です!

奉拝と日付の文字は色を選べるのですが、黒でお願いしました。

御朱印ありがとうございました。

 

 

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