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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】江別市 江別神社

江別神社(えべつじんじゃ)は、北海道江別市萩ケ岡1番地1にある神社で旧社格は郷社。御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、加藤清正公(かとうきよまさこう) で例祭日は9月9日。

屯田兵ゆかりの神社で加藤清正公が祀られています。

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江別市

 江別(えべつ)は石狩地方内でも札幌市に次ぐ規模の街であり、札幌市街中心部まで車で30~40分、札幌駅から野幌駅まで約20分と交通アクセスが良く札幌のベッドタウンとして人口が増加しました。

 江別の地名の由来は、アイヌ語の「ユペオッ」( yupe-ot 、チョウザメ・たくさんいる[永田方正による])や「イプッ」(i-put 、それの・入り口 大事なところへの入り口[当時文化の中心地であった千歳への入口を意味するとされる])など諸説あります。

 1871年(明治4年)宮城県涌谷領から 21 戸 76 人の農民が、江別の対雁(ツイシカリ)に入地し、1878年(明治11年)には江別太(現在の緑町・王子周辺)において屯田兵 10 戸 56 人が移住してきました。同年、明治政府による開拓使府令が布達され江別村が誕生しその後各地から屯田兵が入地してきて計画的な開拓がすすめられました。

 江別太が屯田兵用地に選ばれたのは、札幌周辺の河川舟運の要地であり、後に開設する樺戸・空知の集治監の治安上において適当な地であったことによります。1887年(明治20年)には江別に屯田兵第三大隊本部が置かれ、江別と野幌の2兵村となった。その後、1891年(明治24年)に予備役に編入されて滝川に本部を置く第二大隊所属となり、1895年(明治28年)から後備役になりました。

 1916年(大正5年)に町制施行、1954年(昭和29年)には市制が施行され江別市が誕生しました。

 1955年(昭和30年)~1965年(昭和40年)あたりにかけて、札幌市への人口集中の影響を受け、隣接する江別市でも人口が急増しました。また、文京台地区の大学、その他教育・研究施設の立地、第一工業団地の整備などにより道央圏の中核都市となりました。

 1991年(平成3年)には、人口10万人を達成し、2004年(平成16年)には市制施行50周年を迎えました。

江別神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治18年北海道開拓の為、熊本県より入植した屯田兵の守護神として江別市飛鳥山の地に一宇を建立。次いで明治24年出雲大社より大国主大神を奉戴、明治28年に現在の萩ヶ岡に遷座。大正4年、大正天皇御即位の大典記念事業として社殿、社務所を造営し、この機に神宮より天照大神を奉戴、主祭神として祀った。大正6年6月7日内務大臣より神社創立の認可を受け(内務省5-北社第19号)次いで同年6月30日付で村社に列し、大正15年5月12日郷社に昇格した。戦後、神道指令に基き宗教法人江別神社として新発足し昭和59年、御鎮座百年記念事業として現在の社殿を造営。

【所在地】
〒067-0071 江別市萩ケ岡1番地1
電話 011-382-2201
FAX 011-382-0266

【例祭日】
9月9日
【祭神】
天照大神(あまてらすおおかみ)
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
加藤清正公(かとうきよまさこう)
【旧社格】

郷社

江別神社(北海道神社庁サイト)

 

左:大正5年測図地形図 右:現在

明治28年に現在地に遷座する前は斜め左上にある飛鳥山に飛鳥山神社(明治18年創建)としてありました。

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行幸記念に植えた水松

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参道には現在上部が崩れて下に置いてありますが石灯籠が並んでいたのですね。

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二ノ鳥居

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大きな作りの手水舎

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狛犬は阿吽の配置が逆ですが、阿の左耳が欠けています。

精悍な顔つきでスタイルも良いですね。

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御朱印

参道左側にある車両出入口

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中段にある比較的大きな駐車場

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社務所

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参道左側にある入口を登っていくと駐車場があります。

そこから徒歩でまた戻って一ノ鳥居から入るのですが、静かな中、風格漂う雰囲気でとても良い気分にもなれます。

参拝後ちょうど宮司さんが外出から戻ってきたので運が良かったです。

社務所玄関にあるピンポン押して対応していただけました。

初穂料は300円です。御朱印と同時に宮司さんが書いた本も頂けました。

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宮司著自費出版「わたしは 死ぬのが たのしみだ」

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www.moiwa-orosi.com

www.moiwa-orosi.com

屯田兵第三大隊火薬庫跡

神社裏にある道路脇にポツンとあります。

以下は江別市教育委員会HPから

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火薬庫(史跡 昭和46年8月12日指定)

所在地:北海道江別市萩ヶ岡19

 屯田兵第三大隊本部跡。屯田兵が最初に江別に入地したのは明治11年ですが、当初は江別分隊と呼び札幌に置かれた第一大隊に編入されていました。
 明治18、19年、野幌に225戸が入地し、江別への屯田兵の配置が完了し、明治20年、江別・野幌の両中隊は第一大隊から分割され、新たに第三大隊として編成されました。
 この大隊本部は、現江別小学校のある萩ヶ岡に置かれました。屯田兵の解散後、建物は他の施設に利用されていましたが、昭和9年1月失火により焼失し、現在はこの火薬庫だけが残っています。

 火薬庫は煉瓦造平屋建て、建築面積は15.75平米で、屋根は江別では珍しい瓦葺です。
 使用された煉瓦は、Sの字の刻印から白石の鈴木煉瓦製と思われます。

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 明治19(1886)年頃屯田兵第三大隊本部の付属施設として建てられた火薬庫ですが大隊解散後は、明治32年に開校した江別尋常高等小学校の奉安殿(ほうあんでん)として戦後まで使用され、天皇陛下の写真及び教育勅語が収められていました。 その後、小学校の改築工事により現在の位置に移転しました。

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