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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

石狩市浜益区浜益 天龍山護国院 大心寺

浜益神社からの帰り際に、ふと見上げたお寺の龍の彫り物がすごかったので訪問です。

えっ、凄っ!

天龍山護国院 大心寺

所在地北海道石狩市浜益区浜益35

もともとは荘内藩陣屋があった川下地区に庄内藩酒井家により建立された寺。

安政6年(1859)幕府が荘内藩へハママシケ場所の支配を命じ、翌万延元年(1860)荘内藩酒井左ヱ門尉が浜益川下村に陣屋を設置することになり、酒井家菩提寺の大督寺より丈円隆が赴き、川下村に創建した。

文久2年(1862)天龍山護国院大心寺となった。慶応3年(1867)までは酒井家の菩提寺である大督寺を本寺とした。

明治25年(1892)に茂生(もい)地区(現在の浜益区浜益)に移転。当時の石狩以北には稀に見る豪華な寺院。

日本歴史地名大系 「大心寺」の解説から
大心寺(だいしんじ)
北海道:石狩支庁浜益村茂生村大心寺
[現在地名]浜益郡浜益村大字浜益村
村域中央部、日本海を望む高台に位置する浄土宗寺院。天龍山護国院と号し、本尊は阿弥陀如来。本寺は一八六七年(慶応三年)までは山形県大督(だいとく)寺(現鶴岡市)であったが、明治元年(一八六八)以降有珠(うす)善光寺(現伊達市)となっている。大督寺が本寺であったのは、当寺が出羽鶴岡藩主酒井家の建立になることによる。同藩は一八五九年(安政六年)以降ハママシケ場所を支配したが(書付并伺書類)、その際「祖先ノ冥福ヲ祈ランカ為メ」(寺院沿革誌)に寺院の建立を図ったとされる。酒井家の菩提所は大督寺であったため、はじめ同寺方丈の円隆が赴き、陣屋所在地(のちの川下村)に寺域を与えられ創建した。

鳳凰?

波間に亀

龍鼻?

 

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