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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

石狩市浜益区幌 幌(ぽろ)稲荷神社

幌稲荷神社(ぽろいなりじんじゃ)は、北海道石狩市浜益区幌1200番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は稲荷大神(いなりおおかみ)で例祭日は7月14日。

幌集落中心を一直線に伸びる旧国道の突き当りに神社はあり、江戸後期の増毛山道の入口にもなります。石灯籠と狛犬さんは居ませんでした。

幌(ぽろ)地区

1796年(寛政8年)伊達林右衛門(初代)がマシケ(増毛)とハママシケ(浜益)の両場所場所請負人になり、林右衛門はポロクンベツ(幌)に夏季のナマコ漁用の漁番屋を建てている。
1857年(安政4年)場所請負人伊達林右衛門(3代目)がポロクンベツ(幌)から増毛山道を切り開く工事を始める。
1870年(明治3年)の「北行日記」には「ホンクンヘツ人家六、七軒、ホロクンヘツ人家七、八軒、トコタン人家二、三軒、此辺ハ尽ク海岸又猟場ナリ。チシヘツト云フ断岩ノ下ヲ過キ漁家一軒アリ」と見える。
1871年(明治4年)浜益を直轄地とした開拓使により村落の名称の選定を行う。このとき「ポロクンベツ」は「幌(ぽろ)」と改称され、南隣の群別(くんべつ)、北隣の床丹(とこたん)と合わせて群別(くんべつ)村が出来る。
1877年(明治10年)開拓使は果樹栽培の奨励を目的として、浜益村にリンゴやサクランボなどの苗木を無償で交付した。浜益村はこの苗木を近隣の希望者に配り分け、幌への配布は全体の54パーセントを占めた。浜益の果樹園の多くはニシン漁の網元の経営であり、ヤン衆(出稼ぎ漁師)が漁のない時期に果樹園で働き、肥料には鰊粕が用いられた。
1896年(明治29年)に茂生(もい)警察分署の調査によると、幌は浜益郡の中心地である茂生に次ぐ大きな集落で、商店が海浜に立ち並び巡査駐在所や寺院説教所などが設けられていたという。
1902年(明治35年)4月1日、北海道二級町村制の施行により、以下の町村が発足し幌のある群別村は浜益村となり消滅。
浜益村(二級村) ← 茂生村、群別村
黄金(こがね)村(二級村) ← 川下村、実田村、柏木村、尻苗村
1907年(明治40年)4月1日、浜益村・黄金村が合併して北海道一級町村制を施行し、浜益村(一級村)が発足。
1913年(大正2年)北海道庁から浜益にリンゴの苗木が交付され、このときも幌が全体の54パーセントを受け取った。すでに幌には果樹の専業農家が現れていたからである。大正から昭和の初めにかけて浜益で盛んとなった果樹栽培は、戦時下になると人手不足や食糧生産の優先を原因として見る影もなく衰退していったが、幌では十数園が踏みとどまって経営を続け、終戦後に再び果樹の需要が増加するまで命脈をつないだ。
2005年(平成17年)10月1日、浜益村が石狩市に編入し浜益村及び浜益郡が消滅。
2023年(令和5年)になっても、幌には3戸の果樹園が残っていた。浜益の中で幌だけ果樹栽培が続いた理由としては、一帯が幌川によって形成された小規模な扇状地であることが挙げられる。「きむら果樹園」4代目の木村武彦は「地面を掘ると石だらけ。水はけがよく、果樹栽培に適した場所だ」と語っている。

 地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
 ■幌(ぽろ)
  ポロクンべツ<poro-kunpet>大きい・クンべツ川 幌川と群別川はこの辺で二つの長流であり、ごろた石の中の急流である姿も似ていて兄弟のような川なので、こう呼ばれ、それを下略して「幌」と呼んだものらしい。{群別については別掲。}山田秀三地名考

 ■群別(くんべつ)
  ・ポンクンペッ<pon-kun-pet{?}>小石川{?}〈 kunに「小石」の意味があるだろうか。?〉松浦武四郎〈山田秀三補足説明〉
  ・クンペッ<kun-pet{?}>危川{?}〈 kunに「危ない」という意味があるだろうか。?〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

群別(くんべつ)の解釈にいづれも疑問符がついていますね
まだ別解釈もあり、クンネペッ<kunne-pet>黒い・川  という説もあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正8年測図地形図

幌稲荷神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治18年、三上勝太郎等によって創建された。平成13年7月10日新社殿造営。
【所在地】
〒061-3103 石狩市浜益区幌1200番地
【例祭日】
7月14日
【祭神】
稲荷大神(いなりおおかみ)
【旧社格】
村社

社号標(平成だけど年月日不明瞭)

 

二ノ鳥居

小さめな玉石の手水石(奉納年不明)

 

手水鉢(奉納年不明)

拝殿前から見た風景

かつては旧国道に商店か立ち並びにぎわいもあったのでしょうね

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