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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

増毛郡増毛町舎熊 舎熊(しゃくま)神社 ~文政9年(1826)の狛犬~

舎熊神社(しゃくまじんじゃ)は北海道増毛郡増毛町舎熊244番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)、保食大神(うけもちのおおかみ)で例祭日は7月20日。

留萌から増毛に向かう途中の信砂川を渡った先が舎熊であり、舎熊バス停の直ぐ側に神社はあります。境内隣には舎熊連合自治会館という強そうな名前(笑)の建物があり分かりやすいですね。

参拝には時期によりますが蚊が多いので虫よけスプレーが必須です。

舎熊地区

 かつての舎熊(しゃくま)村であり、明治初年(同2年8月から同6年の間)から明治33年(1900)まで存続した村で、明治33年7月に増毛村を含む九ヵ町六ヵ村の合併により増毛町となり、舎熊村は消滅しました。

 1843年(天保14年)雄冬(おふゆ)岬以北の追鰊が解禁されるに伴い、多くの漁夫が鰊を求めて入り込み定着しました。「北行日記」に「ホントマリ番屋壱軒、シヤクマ此辺ハ尽ク増毛ヨリ人家続キナリ、海岸ハ鯡猟場ナリ」とある(明治三年八月二二日条)。明治6年「天塩国地誌提要」に舎熊村とみえ、平民三四戸・アイヌ八戸、平民男六九人・女五九人、アイヌ男二二人・女一〇人の定住があり、寄留は平民男一四七人・女二人(戸数は七戸とする)とある。

 舎熊の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。

サックマ<sat-kuma>魚乾棚{乾く・物干し棹}山の形状から名付けられたという。〈アイヌの古老の伝承らしい。頂上が平に伸びた山を、よくクマ・ネ・シリ(kuma-ne-sir物乾し棚・のような・山)という。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

イサッケクマ{i-satke-kuma}魚・乾す・棹〈場所がら海岸に乾場があったからの名だろう。〉北海道駅名の起源〈山田秀三補足説明〉

同リストでは 「諸説あり特定しがたい。」とのコメントを残しています。

ちなみにかつてあった鉄道駅は「しゃぐま」と濁った読みです。

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正8年測図、昭和6年鉄道補入地形図

舎熊神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 文久元年5月渡島国松前郡福山の住人伊達林右衛門が中歌本トマリの守護神として奉斎し、明治10年頃舎熊に遷座した。明治17年本殿を建築し事代主神を奉祀し、恵比須神社と称した。同32年7月舎熊神社と改称し保食神を合祀した。昭和15年村社に列格し昭和21年宗教法人となった。
【所在地】
〒077-0132 増毛郡増毛町大字舎熊村字舎熊244番地
【例祭日】
7月20日
【祭神】
事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
保食大神(うけもちのおおかみ)
【旧社格】
村社

舎熊バス停

強そうな名前の自治会館

社号標(昭和16年8月建立)

 

古神札納所

木製鳥居があった跡の基礎?

 

御影石の一ノ鳥居(建立年不明)

御影石の石灯籠一対(願主 福島屋榮右衛門 上野房治郎、建立年不明)

 

御影石の二ノ鳥居(建立年不明)

小さな狛犬①一対(そっぽ向いてます。惣番人中とあり奉納者は不明だが運上屋関係でもう一対と同じ建立年と思われる)

 

 

 

小さな狛犬②一対(正面を向いてます 文政九年戌三月?)

 

 

明治大学人文科学研究所紀要 第90冊 (2023年 3 月31日)
石造狛犬の類型と分布に関する野外調査を主とした網羅的研究 -岩手県の石造狛犬を事例として
明治大学人文科学研究所 川野明正 p.437から

丸浦正弘氏の『ほっかいどうの狛犬』によれば,北海道増毛厳島神社・舎熊神社・別
苅稲荷神社などにも文政年間(1818-1831)(から文久年間〈1861-1864〉の可能性がある)の宮古型狛犬がある[丸浦 2007: 174-176]。

とあり、狛犬は神社創祀より前のものと見られる

 

たぶん神輿庫

小さな手水舎(奉納年不明、藤田直吉)

 

狛犬一対(平成23年7月吉祥日建立)

 

境内社(稲荷神社)

扁額は割れて上部が無くなっています

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