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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】苫前郡苫前町 苫前神社 ~文政6(1823)年8月奉納の石灯籠と文久4(1864)年3月奉納の狛犬~

苫前神社(とままえじんじゃ)は、北海道苫前郡苫前町苫前106番地にある神社で旧社格は郷社。御祭神は市岐島姫命(いちきしまひめのみこと)で例祭日は7月6日。

神社庁誌では御祭神が市岐島姫命(いちきしまひめのみこと)だけであるが、現地の神社由緒書きには保食大神(うけもちのおおかみ)、大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)も記されている。

岬状に突き出した段丘上に神社はあり、下には運上屋跡(標柱のみ)があります。

元々はその近くに神社(運上屋支配人の守り神)はあったと思われ、狭い土地なので後年(大正初期)に丘の上に遷座しました。

苫前町

 苫前町は留萌管内中部沿岸に位置する町で、慶長年間ころから松前藩によってトママイ場所が開かれ、またテウレ(天売島)とヤンケシリ(焼尻島)はテシホ場所に含まれていた。1787年(天明7)以降、栖原角兵衛(すはらかくべえ)が苫前場所の経営にあたり、運上屋が設けられました。
 1872年(明治5)開拓使宗谷(そうや)支庁の苫前出張所(翌1873年留萌支庁苫前出張所、1875年札幌本庁留萌出張所苫前派出所となり、同年苫前分署と改称)が置かれ一時期この地方の中心地となり、とくに明治30年代にはニシン漁で繁栄しました。
 また、大正4年にあった三毛別羆事件はあまりにも有名な獣害事件ですよね(ここでは内容は省略します)

風力発電の風車が多いことでも知られ、国道沿いにもたくさんの風車が回っていますいます。
1970年(昭和45年)で8500人程いた人口も現在は(2020年(令和2年)国勢調査)3000人以下となっており、年々減少傾向になっています。

 苫前の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、

 トマオマイ<toma-oma-i>エゾエンゴサク・ある・所 {当所はエンゴサク多く有るところのため。苫前町史も同説。}上原熊次郎地名考
  エンルオマモイ(エンルモマモイ)<enrum-oma-moy>〈岬・にある(入り込んでいる)・入江〉 本名エンルムオマムイという。〈旧市街は段丘下の浜にあり、そのとおりの所。〉松浦武四郎〈山田秀三補足説明〉

 当リストでは『少なくとも現在名については 上原解の音が近いと思われる。』とのコメント。


江戸時代(慶長年間)松前藩がトママイ場所を開く。
1786年(天明6年) 苫前神社の創建。
1869年(明治2年)北海道で国郡里制が施行され、天塩国および苫前郡が設置される。開拓使が管轄。
1880年(明治13年)苫前村・白志泊村・力昼村の戸長役場を苫前村に設置
1888年(明治21年)8月 苫前郡苫前村が白志泊村を編入
1894年(明治27年)2月3日 苫前郡羽幌村(現羽幌町)を分村
1897年(明治30年)7月15日 苫前村の戸長役場が羽幌村戸長役場を分離
1902年(明治35年)4月1日 苫前郡力昼村(りきびる)を編入、二級町村制、苫前郡苫前村
1915年(大正4年)4月1日 一級町村制、苫前郡苫前村
1915年(大正4年)12月9日-14日 三毛別羆事件。苫前町三毛別(さんけべつ、現在の地名は三渓)でヒグマが民家を襲撃した。ヒグマは最終的に射殺されたが、死者7名、負傷者3名の被害が発生し、日本獣害史上最悪の事件となった。
1948年(昭和23年)10月1日 町制施行、苫前町

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正8年測図、昭和6年鉄道補入地形図

苫前神社

 天明6年(1786)年)に白志泊(現:三豊)に社殿を建造したのが始まりとされているが、文化元年(1804年)に苫前場所の請負人であった栖原氏が創建した弁天社を由来とするのが正しいようである。その後、その祠が破損したため、文化9年(1813年)に支配人山田福松氏によって再建されている。(苫前町・苫前町の宝から抜粋)

トママイ運上屋 嘉永2年(1849)西蝦夷地道中見取図 中央に鳥居が見える

トママイ運上屋絵図 安政6年(1859) 左端に弁天とある

以下は北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 天明6年奥蝦夷地苫前の支配人が、当地方開拓の際創建奉斎したもので、爾来当時の運上家役所に於て一切の費用を支弁し奉祀してきた。文化9年社殿を再建、萬延元年郡区改正に依り苫前郡と称し、同時に庄内藩の領地となり、次いで明治3年水戸藩の領地となったが、常に藩費を以て1切の修復祭祀を営み、苫前郡の総鎮守として奉斎した。明治4年開拓使を置いたが、特別由緒ある神社であり、本郡中の一ノ宮と仰がれる。明治8年村社となったが、人家等年々増えるにより社殿狭く、現在の地に移転新築の議起り、大正3年出願、同年許可を得て、翌4年落成奉遷する。現在、郷土芸能としてはまなす太鼓が伝わっている。
昭和21年宗教法人設立
【所在地】
〒078-3701 苫前郡苫前町字苫前106番地
【例祭日】
7月6日
【祭神】
市岐島姫命(いちきしまひめのみこと)
【旧社格】
郷社
【社宝等】
絵馬(4)(慶応4年1額)、(元治元年3額)

駐車場入口に社号標

それをすぎると神社正面の参道階段が見えてきます

階段上に一ノ鳥居(木製扁額は大きめです)

 

鳥居前に狛犬一対

 

 

鳥居右手に社号標(昭和18年8月建立)

 

左手には神社創立記念碑

由緒沿革(参道から見える向きで設置したほうが良いのでは?)

手水舎(手水石は昭和62年7月吉祥日奉納)

 

オッスオッス

整列した石灯籠群は昭和61年12月1日建立

石灯籠一対(出征兵と刻まれ昭和9年7月6日建立)

 

 

石灯籠一対(昭和60年10月10日建立)

 

拝殿前にかなり古い狛犬一対(文久四子年三月吉日、支配人須田伊助)

トママイ場所の請負は六代目栖原角兵衛が担っており文久4年(1864年)3月に当時の運上屋・栖原店の支配人 須田伊助から奉納された狛犬

 

 

 

 

狛犬と並んでこれもまた古い石灯籠一対(文政六葵未年八月日、栖原店)

狛犬より41年前の文政6年(1823年)8月に当時の運上屋・栖原店から奉納された石灯籠

 

神社右隣に忠魂碑

狛犬一対(昭和50年8月吉日建立、奉納 大東亜戦争終結30周年記念 苫前町遺族会)

 

 

 

大きな傘の石灯籠一対(昭和43年8月吉日建立、献燈北海道百年記念)

 

忠魂碑は明治42年8月建立、台座の忠魂碑由来は平成26年10月吉日 苫前町遺族会設置

帰り際にザーザー雨が降り出してかろうじてセーフ

御朱印

社殿左隣に社務所かあります

玄関内に書置きの御朱印があり、不在よりはありがたいですね。

御朱印ありがとうございます。

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