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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】野付郡別海町 別海神社

別海神社(べつかいじんじゃ)は、北海道野付郡別海町別海宮舞町36番地にある神社で旧社格は無格社。御祭神は天照皇太神(あまてらすすめおおかみ)、豊受比売神(とようけひめのかみ)、速須佐之大神(はやすさのおおかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で例祭日は7月17日。

別海町中心部(旧名・西別)の交差点から、中標津に抜ける道道8号根室中標津線を100m程行った先の、右手にある微高地に神社はあり、鳥居を過ぎ坂を上った先は結構広く感じる境内でした。
境内には大きな忠魂碑と並んで旧西別神社本殿があり、別海神社の前身となる神社です。

別海町(べつかいちょう)

 別海は酪農の町として有名で生乳生産量は全国一位、年間生産量は43万トン。町の人口の約8倍の数の牛(約11万3000頭)が町内で飼育されています。

沿岸部の尾岱沼では漁業のホッカイエビ漁(通称ホッカイシマエビ)が有名で、漁場のアマモを傷つけないよう帆掛け舟により動力を用いない打瀬網漁業で、その漁獲風景は野付湾の初夏の風物詩となっています。

 現在の別海町の中心位置は海岸から13km内陸にありますが、最も早く開発が進んだのは沿岸部にある本別海(ほんべっかい)《旧・別海》で主に漁業が行われており、1879年(明治12年)別海村が誕生しています。明治30年代から新しい土地を求め内陸部への入植が進み、1923年(大正12年)4月1日に野付郡別海村、野付村、平糸村、根室郡西別村、走古潭村、厚別村の6村が合併。
1933年(昭和8年)別海村役場を本別海地区《旧・別海》から西別地区《現・別海》に移転
1971年(昭和46年)町制施行により別海町となる。
1972年(昭和47年)6大字を廃し52町を置き、町制後に旧・別海だった字別海村は本別海と名称変更されました。

 ちなみに、別海の読みは「べつかい」と「べっかい」が混同されてましたが、1971年(昭和46年)の町政施行を機に「べつかい」で統一。しかし、2009年(平成21年)3月10日の町議会にて当時の町長が「べつかい」と「べっかい」の双方の読み方を認めると宣言し、町として公的表記を求められた場合は引き続き「べつかい」とするとしている。

市街地を流れる西別川は、その殆どが原始河川の流路そのままの状態で残っていて、グーグルマップで見てもその蛇行振りは河跡湖の数もさることながら圧倒的です。

 地名由来はアイヌ語から来ており、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
西別
ヌウペッ<nu-us-pet> 〈豊漁・ある・川〉
潤沢な川。この川鱒鮭その外雑魚潤沢なため。 上原熊次郎地名考
豊漁川。 {オホーツク沿岸はサケ漁で賑わうところだが、中でも西別川はサケの遡上が多い川だという。} 永田方正地名解{山田秀三補足説明}
川上に湯の如き温い水が噴出するため 松浦武四郎

同リストのコメントに、”土地柄、魚が沢山獲れるので「豊漁な川」と解するのが自然と思われる。”とあります。

別海
・ペッカイ<pet-kay>川が・折れる
・ペッカイェ<pet-kaye> 川・を折る
松浦氏は「ベツカイ。川が折れた」と書き、永田氏は「ペッ・カイェ。破れ・川。又折れ川とも。」と書いた。語義がはっきりしない。ペッ(川)に、カイ、カイェのどっちかがついた言葉。海岸の砂浜で、川口が曲がり、また破れるようなところから呼ばれたのであろうか。
{松浦氏は「ペッカイ 川・背負う」とも書いている。また、別海町HPは「ペッ・カイエ。西別川の海に出る所が曲がりくねっており、『川の折れ曲がっている』ということを意味する。」と書いている。}

大正11年測図、昭和8年鉄道補入、昭和19年部分修正地形図

現在の別海図書館裏手に神社記号あり。

別海神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治後期、西別村北鳴地区に西別神社が創祀されたが大正6年9月15日神社を西別原野28線南1号に移転御鎮座し新家辰次郎外2名が伊勢神宮に天照皇大神の御分霊を受けに行くが、前例がないとされ、特別祈祷を受けた特大大麻を戴いて神社御本殿に収めこれを西別神社の起源とした。大正12年西別原野に市街地が区画され神社は西別原野基線187番地に移転(現在地)、昭和3年御大典記念として社殿を建立(祠神社)大工棟梁金田福太郎が昭和6年、拝殿及び幣殿を建設、御本殿を鞘掛けして複合神殿とした。昭和8年3月11日政府内務省の認可を受け無格社に列格する。昭和21年宗教法人法に基づき神社本廳に承認されその組織下に入る。昭和28年宗教法人「西別神社」として道知事の認証を受ける。昭和53年社殿改築工事着工。昭和54年7月15日遷座祭斎行。昭和57年5月13日氏子区域を拡大に伴い社名を「別海神社」と改称した。
【合併により合祀された歴史をもつ御祭神】
西別神社 大国主神 明治41年5月7日創祀 大正6年9月15日合祀
矢臼別神社 宇迦之御魂神 昭和11年7月10日創祀 昭和51年6月8日合祀
【所在地】
〒086-0201 野付郡別海町別海宮舞町36番地
【例祭日】
7月17日
【祭神】
天照皇太神(あまてらすすめおおかみ)
豊受比売神(とようけひめのかみ)
速須佐之大神(はやすさのおおかみ)
大国主神(おおくにぬしのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【旧社格】
無格社

一ノ鳥居と扁額

二ノ鳥居

手水舎(水盤は昭和54年7月15日奉納、遷座祭記念とあります)

 

狛犬一対(昭和54年7月吉日建立)

 

 

石灯籠一対(1980年6月建立とあり昭和55年のことです)

 

立派な忠魂碑(昭和17年5月建立、紀元二千六百年記念、別海村役場・帝国在郷軍人會別海分會)

旧西別神社祠(昭和3年建立)

御朱印

拝殿のお賽銭箱に置かれた説明文

新型コロナ対策で宮司さんは一切面会拒否なので注意しましょう。

この説明文を読まないで宮司さんに御朱印貰いに行ったら怒られたという書き込みがありました。

そりゃあ宮司さんからしたら、「賽銭箱に注意書き置いてあるのに会いに来た」=「参拝していない人」ですからね。

郵送代負担は申し訳ないので、返信用のスマートレターと初穂料を添えて封筒に入れたのを賽銭箱に投函したら、後日、きちんと御朱印と楓の押し葉が送られてきました。

粋な御朱印ありがとうございました。

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