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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡福島町千軒 千軒神社

千軒神社(せんげんじんじゃ)は、北海道松前郡福島町千軒289にある神社で旧社格は無格社。福島大神宮の境外末社で別名一の渡神社ともいう。御祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、罔象女命(みづはのめのみこと)で例祭日は不明。

福島町市街から、国道228号の福島峠を下りた所にある千軒集落の旧国道沿いにあり、隣には福島町 活性化センター あづまーる、ちょっと離れた国道沿いには地域活性化のために栽培している千軒そばを提供する店があります。

千軒地区

 大千軒岳へのアプローチとして重要な集落であり、ここから知内川を遡る林道を経て奥二股登山口駐車場から登山するルートが一般的みたいです。集落には大千軒岳登山者休憩所があり、前日にここで宿泊してから翌朝に登山する事ができる施設があります。

 大千軒岳は日本三百名山、花の百名山で渡島半島南西部では最高峰で標高1,072m。1896年(明治29年)に北海道で最初に一等三角点が設置された山で、日本三百名山のひとつです。山頂からは駒ヶ岳、函館山をはじめ、日本海に浮かぶ奥尻島や渡島大島、さらには津軽海峡をはさみ青森県の八甲田山、岩木山までもが一望できます。また、1693年(寛永16年)松前藩による隠れキリシタン処刑によって106人が殉教した地でもあり、金山番所跡と千軒平の尾根には十字架が建てられています。毎年7月の最終日曜日にはキリスト教徒殉教ミサが行われます。

令和5年10月末にヒグマによる事件が起きましたね。10月31日、登山中の男性3人がヒグマの襲撃を受けて2人が負傷、ヒグマの目元と喉にナイフで刺し難を逃れたとか。11月2日には6合目付近で29日から登山していたと見られる別の登山者の男性1人の遺体とヒグマの死体が発見されました。

 千軒の地名由来は和名で北海道 駅名の起源によると「もと碁盤坂といったが、昭和47年3月15日千軒に改めた。付近に大千軒岳があり、むかし金鉱開発のため約千軒の人家があったところから、このように名付けられたものである。碁盤坂は、付近の坂の上に自然石の碁盤のような石があったので、この名が出たという。」とありますが、結構違うようで福島町史では千軒地区の台地は旧名綱配野(つなはいの)と呼ばれたが、これは砂金掘たちが、山を洗って砂金を掘るため、鉱区の地割をするための縄を張っていたことの遺名であり、この付近も多くの砂金掘が稼働していた地域であることを示している。

 字千軒は昭和十七年の字地番改正以前、碁盤坂という地名であった。鍋こわし坂を下り、この綱配川を渡ったところに金山番所があって、ここを御番所と呼び、そこの坂を御番坂と呼んだものであり、それが後の碁盤坂につながったものである。とあります。1727年(享保12年)享保十二年所附に坂の下、茶屋峠、「一ノ渡り」、「わらひ野」「綱はへ野(つなはへの) 此辺くりの木野迄一里」とみえ、「蝦夷巡覧筆記」に「綱ハエ村」と記される。

千軒神社

以下は、福島町史を参考に作成。
【由緒】
 寛永元年(一六二四)一の渡住民佐藤甚左衞門建立、千軒大権現社、千軒山三社大明神ともいう。享和二年(一八〇二)松右衞門、金十郎、六助、長作の四人で再建立した。また、『馬形社佐々木家日記』によれば、白符神明社にあった三社大権現の三体の御神像のうちの一体を文化十二年(一八一五)千軒神社の御神体として奉遷したという記録がある。
福島大神宮の境外末社で別名一の渡神社ともいう。
【所在地】
〒049-1332 北海道松前郡福島町千軒289
【例祭日】
不明
【祭神】
大山祇命(おおやまづみのみこと)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
罔象女命(みづはのめのみこと)
【旧社格】
無格社

不明碑(歌碑か?)

 

社号標

石灯籠一対(平成元年8月吉日建立)

 

手水舎

 

手水石は自然石とコンクリートの複合

 

二ノ鳥居

石灯籠一対(平成12年11月建立)

 

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