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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近はほとんど気楽な食レポが多いです。

岩内郡共和町前田 前田神社 前田利家公を祀る珍しい神社

前田神社(まえだじんじゃ)は北海道岩内郡共和町前田300番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、前田利家卿(まえだとしいえきょう)で例祭日は9月8日。

国道276号にある前田集落の南側300m先の高台に神社はあり、田園が広がる中でも神社の周りだけは濃い杜に囲まれています。

共和町前田地区

 明治維新により武士が大量に失業し、家族まで含めると全人口の10パーセント以上に影響したともいわれ、大きな軍事・経済力を持っていた加賀藩も例外ではありませんでした。
 当主前田利嗣侯は失業した加賀藩士に北海道の地での授産(新たな職業先開拓と職業訓練)を決心します。
明治17年(1884)後志管内共和町前田地区で、士族79戸を開墾に従事させ成功を収めます。(この成功により利嗣侯は札幌周辺地域での開発に意欲を燃やし前田農場を創設。これが札幌市前田の起こりへと繋がります。)
1884年(明治17年)金沢藩主前田利嗣が士族授産のため起業社を結成し石川県士族79戸を札幌県岩内郡に入植。(後の前田村)
1897年(明治30年)前田村外2カ村戸長役場設置
1906年(明治39年)4月1日、北海道二級町村制施行により岩内郡前田村、梨野舞納村、老古美村、幌似村が合併し、前田村が発足。岩内支庁に所属。
1912年(大正元年)11月1日、鉄道院岩内軽便線の小沢駅 - 岩内駅間開通に伴い、前田駅開業
1922年(大正11年)9月2日、路線名を岩内線と改称
1923年(大正12年)4月1日、一級村へ移行。
1955年(昭和30年)4月1日、岩内郡小沢村、発足村と合併し、共和村
1985年(昭和60年)7月1日、岩内線の全線廃止に伴い、廃駅

前田の地名は前述の開拓功労者である前田利嗣侯からとったものです。

大正6年測図地形図 岩内軽便鉄道の前田駅がありますね。そして国道のところには起業社の地名があり、これは、1884年(明治17)に加賀金沢藩が士族授産のために起業社を設立したのが地名になっています。

前田神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治19年、新開地には住民の土着が第一の条件ということで、大谷地から木材を搬出、小校舎を建て移民の子弟に教育を授けると共に、移住者の土着心を喚起する目的で神社を建立したことに始まる。明治20年5月、西田三郎外3名が出願し、6月11日に創立許可を得たため、金沢市尾山神社の御分霊を受けて祀った。明治24年村社に列格した。同34年字起業社に3000坪の払下を出願し翌35年許可された。明治36年9月前田利為侯が前田村を訪れたが、その後明治40年4月5日暴風のため社殿が破壊し、前田侯より200円の寄附を得て10月10日社殿が再建竣工した。大正9年9月神饌幣帛料供進神社に指定され、同年10月天照大神を増祀した。昭和57年3月開基百年祭を斎行した。
【所在地】
〒048-2201 北海道岩内郡共和町前田300番地
【例祭日】
9月8日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
前田利家卿(まえだとしいえきょう)
【旧社格】
村社

経武館之碑 郷里にあった武芸全般を教える藩校である経武館にならい、明治19年に青年の修練のため建設した剣道場のこと。昭和57年5月25日建立

 

開基碑(八十周年記念、昭和38年5月26日建立、金沢市尾山神社宮司 鏑木勢岐書)

 

雨夜一基氏の句碑 「神の庭笹かり了へて見る穂波」潮波

 

石灯籠一対(明治35年5月建立)

 

手水舎と由緒書

手水石(明治42年5月25日奉納)

 

 

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