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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】北斗市(旧上磯町)中央 有川大神宮

有川大神宮(ありかわだいじんぐう)は北海道北斗市中央1丁目3-3にある神社で、神社本庁に属さない北海道神社協会の神社です。旧社格は郷社。御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)で例祭日は10月17日。

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北斗市の歴史年表には、

1396年(応永3年)有川大神宮 応永三(丙子)年九月、村中信仰ノ為造立スル所ニシテ別ニ記録等無之ニ付詳細ノ由緒全ク不詳(『社寺明細帳』<上磯町役簿書>)
1451年(宝徳3年)有川大神宮、宝徳3年(辛末)、種田左近胤直奉仕
1504年(永正元年)菊池平作ナルモノ内地ヨリ来リテ初メテ有川近傍ニ移住シ川名アシリベツノ称ヲ借リ村名トナセリト云フ。(『上磯・谷好・富川・中野・清川五ヶ村沿革調』<上磯町役場簿書>)
1597年(慶長2年)有川村に来住した万蔵院(種田葽次の祖)有川大神宮を再建する。人家僅かに19戸なり。
1602年(慶長7年)寅年4月、筑前の領主、秋月家の庶流なる種田権頭胤直は関ヶ原の戦いで豊臣氏に仕えて敗れ、南部佐井に逃れ、松前に航し「アリベツ」に居る。
1663年(寛文3年)9月 修験万歳坊有川大神宮を再建
1717年(享保2年)3月 日本武神社久根別に勧請(明治19年、有川大神宮の境内神社となる。)
1718年(享保3年)「有川神明造立年号不相知」として神明社の存在あり。
1727年(享保12年)8月 種田藤宮、有川大神宮を再修
1853年(嘉永6年)有川大神宮御神輿の銘嘉永六年丑桃月大坂心斎橋通本町鎌田常右衛門之調神輿は六角形である。昭和39年、上磯町有形文化財指定
1864年(元治元年)3月10日 倉稲魂命を野端に五穀豊穣のため勧請(明治11年、有川大神宮に合祭)
1874年(明治7年)9月 有川村神明社ヲ有川村大神宮ト改称ス(『開拓使事業報告1』)
1895年(明治28年)10月22日 有川大神宮五百年並凱旋日清戦争記念碑寄付金(「関屋備忘録」)

とありますが、1396年(応永3年)創建説は他に示す文書がないので1597年(慶長2年)を創建としている文書があります。

 

菊地重賢「明治五年壬申八月巡回御用神社取調」巡回日記から
茂辺地村神職管摂
有川村     二〇九軒 一、一七五人 神明社(慶長二)

とありますね。

 

塗りつぶされた文字は「供進指定神社 郷社」

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立派な松があります

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一ノ鳥居

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これも曲がり具合が素敵な松の古木

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手水舎の屋根は風か雪の重みで倒れたか

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奉納 願主 種田健之丞 大正六年九月 有川大神宮は種田家そのものであり、宗家が代々宮司を努め、本家が商業・農業・漁業と繁栄を築きました。

種田家
 種田家は北斗市の旧家です。出処については慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦に破れた九州秋月家の庶流、種田権頭胤直が有川村へ佐井村(南部)経由で渡道したといわれています。
 宗家は代々「有川大神宮」の宮司を継ぎ、本家は種田金十郎(8代目)の代に名声を博し「渡島王」と呼ばれました。場所請負人の岡田半兵衛から古平漁場の譲渡を受け、室蘭・小樽方面へも拡張し、戸切地陣屋の造営や箱館戦争等に松前藩の会計方として深くかかわりました。
 分家(イリシメ)は種田徳兵衛が明治13年(1880年)家督を受け、郡総代、村総代人として永年公職し古平方面での漁場を基盤に前浜でも鰯粕の製造をし、4代目幸右衛門は警防団長や消防団長で町の安全を守り21年間も町会議員をつとめました。
 種田家は漁業ばかりでなく、農業・林業・産業を興し町の発展に貢献しました。

平成21年12月 北斗市教育委員会

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一つだけぽつんとある変わった意匠の手水鉢

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上磯奴・有川天満囃子 展示資料館

上磯奴・有川天満囃子は嘉永6年(1853)に大阪から購入された御神輿と同年代に祭り行列に組みこまれたと考えられる。

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境内社:正一位稲荷大明神

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神社にはおなじみの水準点があります。(準基準水準点444)

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大黒様と小さい狐が居ますね。

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本殿でしょうね

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頭が水を受ける器になっている狛犬

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恵比須殿

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御朱印

 社務所と書かれた建物がありますが、普段は無人です。『ご用の方は奥の宮司宅へ』と書かれてますので行きますが、その日は居ませんでしたので翌朝に再訪問。

 兼務社も含めて5社の御朱印をお願いしまして、御朱印帳自体を預けて夕方また受け取りに来ますとあとにしました。

 兼務社の印は有川の物になりますが、それでも構わないという方は受けてください。

初穂料は1社につき300円。 

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