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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】北斗市(旧上磯町)矢不来(やふらい) 矢不来天満宮

 矢不来天満宮(やふらいてんまんぐう)は北海道北斗市矢不来138番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)で例祭日は9月25日。

 神社の境内は、道南十二館の一つである茂別館(もべつだて)の遺構内に建てられており、周辺には東方に中世の矢不来館、幕末期の激戦地であった矢不来台場、旧矢不来天満宮跡などもあります。

 札幌神社権宮司兼開拓使十一等出仕菊地重賢による「明治五年壬申八月巡回御用神社取調」巡回日記によると、

茂辺地村神職管摂
茂辺地村 一五一軒 八八八人 天満宮(長禄元)
 末社矢不来森稲荷社(元和元) 末社川南館稲荷社(元和元) 末社日形泊丹生神社(寛文五) 末社同村堂前稲荷社(延宝六) 同上合祀金比羅社 日形泊稲荷社(文化四)

と書いてあり長禄元年(1457)の創建になっています。

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矢不来

矢不来(やふらい)の地名由来はアイヌ語からの転訛で、ヤンケナイ<yanke-nay>(陸に揚げる・川)陸揚場〈この河口の辺に舟を着けて、漁獲物とか積荷を揚げた所なのでこの名がついたのであろう。なお、昔は「やぎない」のように呼んだ場所で、昔の人たちは東北弁で「矢来(け)ない」という言葉に当てて、矢不来と書いたのだろうが、それでは読みにくいので、後に「やふらい」と音読みにして呼ぶようになったものらしい。〉

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矢不来天満宮

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 嘉吉3年安藤盛季矢不来に舘を築く。長禄元年アイヌとの戦いに稀瑞を感じ舘主下国安藤式部大輔安部家政が家臣池田半太夫源輝元に命じ神勤させた。爾来、守護神として崇敬す。貞享5年下国儀季造営、元禄14年、下国要季造営。同年、拝殿を吉川六兵衛が造営、宝暦2年下国細見が再建、明和3年下国但見安部季政が再建、天明3年7月下国勘由が再建、元治元年再建、明治8年村社に列す。明治15年下国安芸が茂辺地に遥拝殿再建、明治28年遙拝殿移転、大正6年矢不来より茂辺地に本殿を移転、大正6年神饌幣帛料供進指定。昭和3年上磯町字矢不来138番地に移転、昭和43年社殿を神明造に改築する。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
舘稲荷神社 倉稲魂神 元和元年9月創祀 明治11年合祀

【所在地】
〒049-0286 北斗市矢不来138番地
電話 0138-75-2033 
【例祭日】
9月25日
【祭神】
菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
【旧社格】
村社

【社宝等】
額面 矢不来天満宮(文政12年)松前章広書、締太鼓欅胴(寛政8年2月)、湯立用(松前神楽式)釜(2)(文久3年9月25日)、花崗岩製明神大鳥居(天保11年5月)、花崗岩製明神鳥居(文政10年7月)その他 昭和57年7月3日文部省告示第114号を以て境内全域が史跡並びに城跡として国指定となる。

【特殊神事】
松前神楽式神輿渡御に伴う奴振行列(上磯奴)
【境内外末社】
川下社 木花開耶姫神(このはなさくやひめ)

矢不来天満宮跡(現在地の東方に位置する江戸時代から大正にかけての神社跡)

一般国道228号上磯町茂辺地法面工事用地内埋蔵文化財発掘調査報告書から

[矢不来天満宮跡 要約]
 矢不来天満宮遺跡跡は、函館誓願の海岸段丘の標高50〜60mの崖縁に位置する。遺跡は矢不来市街と茂辺地市街のほぼ中間に位置し、付近には中世の矢不来館や茂別館跡、幕末の矢不来台場跡などが分布する。

 建物は大きく三時期に分けられ、拝殿、本殿が一期からあり、二期に盛り土して拝殿が建て替えられ、三期に覆屋が増築されている。出土遺物や文献資料からこの三時期にはそれぞれ18世紀後半から19世紀、19世紀〜幕末、幕末から大正の年代が与えられる。一期は肥前産のの御神酒徳利や唐津の小鉢などで年代を決定した。二期は盛土上面の瀬戸・美濃系の碗類や、一部の徳利から年代を決定した。三期は碗類や瓶類から年代を決定した。

 遺物総出土点数は貝類も含めると10,300点で、陶磁器が最も多く56%、銭貨幣13%、金属製品10%と続く。陶磁器は5,703点出土し、最も多いのは徳利である。

 

台座に乗った不明な石

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神社でおなじみの水準点(一等水準点6330)

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小さい碑には明治廿四年五月石垣寄付と刻まれています

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史跡 茂別館跡の碑と説明板

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一ノ鳥居

一ノ鳥居には天保十一年庚子五月吉日(1840年は天保の改革の前年ですね)と刻まれています。 鳥居の上には小石が乗っていて、深夜に誰にも見られないように後ろ向きに石を投げて、それが鳥居の上に乗れば願いがかなうというとかなんとか。(10年くらい前に近くで仕事があったので訪れたときは、もっとたくさんの石が乗っていましたが、掃除したんでしょうね)

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鮭之碑

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二ノ鳥居

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昭和40年 開田記念碑

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昭和45年9月25日 御造営記念碑

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三ノ鳥居

2012年2月24日に降り積もった雪の重みで笠木が落下し損傷した鳥居(木製両部鳥居)も2016年6月には完成しました。

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いろいろな伝説のある矢不来の赤松

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撫で牛

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灯篭軸(元治元年(1864)7月建立)には狛犬(年不明)

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なんかの記念碑

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石灯籠(元治元年7月建立)

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手水舎

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手水鉢には安政六年(1859)己未歳七月吉日  願主 池田屋長八と刻まれています。

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石灯籠(春日灯篭)

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狛犬(建立年不明)

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写真を撮り忘れましたが、拝殿裏に本殿があり昭和45年に箱館大森稲荷神社からの委譲という記述が、大森稲荷神社の由緒書きにあります。

御朱印

砂利道を表参道の石段を過ぎてちょっと行くと裏参道入口があり、社務所そばに駐車スペースがあります。

社務所には入り口が矢印で示されているので判り易いです。

初穂料は300円。

御朱印ありがとうございました。

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