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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

釧路市音別町 音別神社(おんべつじんじゃ)

音別神社(おんべつじんじゃ)は、北海道釧路市音別町尺別9番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)で例祭日は7月第2土、日曜日。

神社は音別川下流右岸の高台にあり、国道脇から斜めに上がる道の先に神社はあります。音別で仕事があったのでその前に安全を祈願しに参拝しました。

きれいに清掃されている神社さんです。

釧路市音別町

音別町はかつて白糠郡音別町でしたが、2005年(平成17年)10月に釧路市と飛び地合併して釧路市音別町となりました。

音別の地名はアイヌ語から来ており、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
オンペッ<on-pet>発酵する・川(オンは木の皮を水に浸し腐らすこと。ニレ皮を浸したところから名付けられた。)[松浦武四郎]
        腐川(この川へ上る魚は直に老るという。)[永田方正地名解]
 {音別町史は、この川について「良質の水であり、往時樹木が茂っていた頃はなおさら清浄そのものであったと想像される。」ことから、この説を「肯定しがたい。」と書いている。}

オムペッ<o-mu-pet>川口がふさがる川〈川尻・塞がる・川〉[北海道駅名の起源](土地の人に聞くと、この川は海がしけると、砂で川口が塞がるのだといわれる。元来がo-mu-petであったが、水質の強い川だったので、後にon-petと呼ばれるようになったのではないだろうか。)[山田秀三補足]
 {音別町史は「音別海岸は全くの砂地で、しかも波打ち際から急に深くなり、また、一番奥まった地点のため、割合に波が高いところである。したがって、波に押された砂が高く積もり川口を塞ぐことになる。」として、この説を支持している。}

とあり、リストでは「 駅名(山田)解に妥当性を感じる。」という補足を付けています。


音別町のあゆみ
1915年(大正4年)2月7日、白糠郡尺別村戸長役場設置
同年4月1日、白糠村から分離独立し、尺別村となる。
その後に農林業の振興及び、大正7年(1918)に尺別炭砿が開坑されたことにより人口が増加
1919年(大正8年)戸長役場から村役場に昇格
1922年(大正11年)村の中心が音別市街地区になり、尺別村を音別村に改称しました。
1956年(昭和31年)人口が10,000人を上回り、昭和34年1月1日に町制施行し音別町となる
1970年(昭和45年)尺別炭砿閉山。全従業員解雇のため離職者が音別町を離れ人口が激減
2005年(平成17年)10月に釧路市と飛び地合併し釧路市音別町となる
2016年(平成28年)3月末の住民基本台帳では人口は1997人

大正9年測図地形図 コタンという地名があり古くにアイヌの集落があったことによる

音別神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治39年4月15日、大和田清治・菅野雄五郎等が郷里の福島県県社大田神社の御分霊を奉戴し旧社地に社殿を建立したことに始まる。大正9年6月20日3柱の御祭神を以て祭神とし創立を出願、同12年4月14日に創立が許可される。同年、社殿を改築、同13年12月18日村社昇格を申請し、昭和7年2月10日に村社に列せられる。同年7月には神饌幣帛料供進神社に指定される。
【所在地】
〒088-0133 北海道釧路市音別町尺別9番地
【例祭日】
7月第2土、日曜日
【祭神】
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
【旧社格】
村社

一ノ鳥居

右手に社務所がありますが無人です

左側に手水舎

 

 

右側には稲荷社

資材庫

鳥獣魂碑(平成10年9月吉日 音別猟友会)

 

左側には神輿殿

 

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