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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】虻田郡京極町 京極八幡神社

京極八幡神社(きょうごくはちまんじんじゃ)は、北海道虻田郡京極町字京極621番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、埴安姫神(はにやすひめのかみ)で例祭日は9月2日。

京極市街地の南側にある高台に神社はあります。夕方の参拝で蚊が多く、近くの畑にまいた鶏糞肥料の臭い匂いにも包まれうんざりです。

京極町

京極町(きょうごくちょう)は羊蹄山の西側にあり、伏流水が湧き出る「ふきだし公園」はかなり有名な観光スポットですね。

京極町の地名由来は和名で、開拓功労者である旧丸亀藩主京極家の子爵 京極高徳の姓によって名づけられました。

駅名が京極駅として開業した当時は東倶知安村であり、何かと不都合があった模様ですが京極村へと改称するのは21年後のことでした。

1897年(明治30年) 旧讃岐丸亀藩主家の京極高徳子爵が京極農場を開場。
1910年(明治43年) 倶知安村(現・倶知安町)より分村し東倶知安村と称する。(人口6,783人、1235戸)
1919年(大正8年) 京極軽便線(きょうごくけいべんせん)が開通。1898年(明治31年)に脇方で発見された褐鉄鉱床の鉄山・倶知安鉱山からの鉱石輸送が建設目的である。駅は京極農場の敷地に設置されることとなり「京極駅」と命名。
1922年(大正11年) 軽便鉄道法の廃止により京極線に改称
1923年(大正12年) 一級町村制施行。
1928年(昭和3年) 京極線の延長の形で胆振鉄道(いぶりてつどう)が喜茂別(初代)まで開業。1941年(昭和16年)胆振縦貫鉄道(いぶりじゅうかんてつどう)が胆振鉄道を合併。
1944年(昭和19年) 戦時買収により胆振縦貫鉄道と京極線を合わせて胆振線となる
1940年(昭和15年)4月1日 京極村に改称。
1962年(昭和37年)5月1日 町制施行、京極町。

大正6年測図、昭和6年鉄道補入地形図 東倶知安村(京極)とあり、京極駅以北は京極線、以南は胆振鉄道とありますね。

京極八幡神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治31年4月25日、讃岐國旧丸亀藩主子爵京極高徳が京極農場鎮護のため、官幣大社男山八幡宮(現在の石清水八幡宮)の御神璽を奉戴し、現今の地に鎮祀。大正8年9月村民一統協議の上、村社創立期成会を創設し、京極家及び同農場より神祠を改築方寄付の承諾を得、大正11年5月30日、村民一同連署の上、神社設立出願。大正12年5月10日、八幡神社設立許可。大正12年9月24日、官幣大社出雲大社・国幣中社酒列磯前神社・官幣大社稲荷神社より大己貴命・少彦名命・保食神の御神璽を奉戴し、併せて埴安姫神を勧請して鎮座。大正14年5月16日社殿改築(幣殿拝殿新築)。大正15年6月21日村社に列せられる。大正15年8月5日神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和21年8月宗教法人設立して神社本庁所属し、京極八幡神社と改称。平成9年8月5日社殿を現在の地に移転して改築、翌6日に御鎮座百年祭を斎行。平成26年8月社務所改築、職舎新築。
【所在地】
〒044-0101 北海道虻田郡京極町字京極621番地
電話番号 0136-42-2029
【例祭日】
9月2日
【祭神】
応神天皇(おうじんてんのう)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
保食神(うけもちのかみ)
埴安姫神(はにやすひめのかみ)
【旧社格】
村社
【社宝等】
町準公園地区(準公園道)に指定されている。

一ノ鳥居前の狛犬一対(建立日不明)は構え獅子型

 

石灯籠一対(一部削られ建立日不明)奉納者は東倶知安村の人

 

 

二ノ鳥居

鳥居前左に「皇紀二千六百年 聖戦参加記念」の碑あり 題字は陸軍中将山下泰文

 

鳥居前の石灯籠一対(一部削られ建立日不明)奉納者は東倶知安村の人

 

手水舎(大きな玉石を掘った手水石には紀元二千六百年慶祝記念とあり)

 

ああ…石段長いわ~

 

上った先に狛犬一対(昭和18年度初老會、初老記念)

 

 

石灯籠一対(皇紀二千六百年慶祝記念)

 

古い神輿庫?

創祀百年鎮座趾

忠魂碑

 

御朱印

社務所は訪問時無人でしたが、玄関に書き置きがあり初穂料を置いて頂戴しました。

 

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