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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】余市郡赤井川村 赤井川神社

赤井川神社(あかいがわじんじゃ)は北海道余市郡赤井川村字赤井川306番地の3にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、品陀別命(ほんだわけのみこと)で例祭日は9月15日。

カルデラ盆地の中央部にある村の中心から北側300mほどの高台に神社はあります。

以前来た時にあった社号標後ろの鳥居はなくなっていました。

赤井川村

 太古の時代から赤井川村は北海道の有名な黒曜石の原産地で、白滝、置戸、十勝三股と並び四大産地と言われています。黒曜石は火山ガラスで鋭さを持ち、石器に最適な素材であったため一万年以上も前から多くの人々がこれを求めて赤井川を訪れていました。村のあちこちからたくさん出土しており、開拓当時から農作業で手足に怪我をしたと伝えられています。現在村内には旧石器時代・縄文時代を中心に67か所の遺跡が確認されています。

明治15年、大江村のの山口県人粟屋貞一と従者の井関百合蔵がこの地を探検。
明治21年頃には既に山道の辺りに新潟県人の長谷川友太郎が無願入地し大江村赤井川原野、大江村近傍などと呼ばれていました。
明治27年5月、余市郡山碓町林長左衛門ら(余市開墾株式会社)と余市郡琴平町徳光大次郎ら(赤井川農業合資会社)が赤井川の土地の貸付を受け戸数42戸が開拓のため入地。
更に御用林の解除に伴い東京の船越衛や前田正名がガンピタイに、余市の榎本武一郎が池田沢に、札幌の植村澄三郎が赤井川にと続々と貸付を受けるものが増え、開拓が進んだと伝えられています。
大正年間、赤井川尋常小学校訓導 伊藤従理が「赤井川はカルデラでは」という疑問を地学学会誌に照会。
大正12年9月、この手紙を帷子次郎(当時東京大学地質学科4年)が目にして、伊藤従理との赤井川の実地踏査を行う。
大正15年、帷子次郎が学会誌「地理学評論」に「北海道赤井川カルデラについて」という論文を発表。
昭和41年3月8日、赤井川大火。罹災者は19棟27世帯で93人となり、被害総額は3千5百万円余り

 赤井川村(あかいがわむら)の地名由来は諸説ありはっきりせず、赤井川村HPではアイヌ語のフレ・ペッ<hure-pet>(赤い川)を由来としています。

山田秀三著「北海道の地名」(S59、北海道新聞社)では、上記の赤い川説をやんわり否定しています。
『 赤井川村は余市川上流一帯を占める大村で、村内を赤井川、白井川、小樽川などの大支流が流れている。小樽川は水源が小樽の方に行っているという意味の名だろう。
 村名のもとになった赤井川は余市川の北支流で、大きな円形の大カルデラ(火山陥没地)の中を回流している。なぜ赤井川なのかはよく分からない。土地の刊行物に赤い川だからの名だとあったが、水が特に赤いとも聞かない。古い火山地帯で赤土の処が多いからその名が出たのではないかともいわれる。』

北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では補足として以下の文が記載されています。
『松浦「丁巳日誌」には「シマウシベツ」、「シュマウシベツ」、間宮図には「シマウシベツ」と書かれている。元来は「スマウ ペッ 石・多い・川」ぐらいの名であったものか。』

東西蝦夷山川地理取調図(函館市中央図書館所蔵資料)松浦武四郎 (1818-1888). 江戸時代、安政6年/1859年. 木版刷彩から

大正6年測図地形図 なんだか遷座前らしき位置に神社記号があります

赤井川カルデラ

第四紀火山岩体・貫入岩体データベースより
火山番号:C07
火山名:赤井川カルデラ
主な活動期:前期更新世後半(カラブリアン期)
活動年代:約170万〜130万年前
火山の型式・構造:複成火山-カルデラ
卓越する岩質:中間質
主な岩石:;安山岩、デイサイト、流紋岩
標高:725 m(大黒山)
火山の概要・補足事項:元服山、大黒山、丸山などを外輪山とする、直径6-7 kmの楕円形のカルデラ。二重のカルデラ地形となっており、このうちの内側が赤井川カルデラ、外側は後期鮮新世に形成された余市川カルデラ

画像は日本の地形千景から

赤井川神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 開墾のため入植した各団体の人達は、出身地の氏神を奉じて祭典の期日もまちまちであった。明治38年2月11日日露戦役戦勝を記念し、北丸山の山頂に各団体の神社を合祀することにし、有志5名が2円50銭で社殿をつくり応神天皇を祀ったのがはじまりである。鎮座地を北丸山にしたのは、明治28年11月山道団体の地勢調査員より、「将来神社を置くべきところ」との意見による。以後、例大祭日を9月15日とした。しかし、山頂にあり年輩者の参拝が困難であったことから、青年団が中心となって、大正2年9月、北丸山山麓に移転した。大正3年5月下旬の山火事で社殿が類焼状態となったため、御神体のみ御動座し、当分の間、遥拝所に安置していた。昭和17年、字赤井川405番地に社殿を新築したが昭和33年焼失した。昭和18年8月無格社から村社に昇格した。現在のものは、昭和36年8月30日、字赤井川306番地の3に社殿を新築したものである。社務所は老朽化のため、平成6年5月、解体撤去した。
【所在地】
〒046-0501 北海道余市郡赤井川村字赤井川306番地の3
【例祭日】
9月15日
【祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
品陀別命(ほんだわけのみこと)
【旧社格】
村社

石灯籠一対(大正12年9月建立、共産青年會)火袋のないタイプですね

 

 

狛犬一対(昭和29年9月15日建立)ちょっと可愛い感じ

 

 

 

立派な手水舎

水盤には奉納 阿波 ○重 國産、側面に大正3年9月15日と昭和41年9月15日の2つの記入あり

 

隣にも手水舎があります

 

社殿左奥には立派な忠魂碑

少し離れた所に地神塔

御朱印

宮司さんの自宅で頂きました。初穂料は300円。

個人情報が含まれるため、電話番号及び場所については公開いたしません。

お忙しい中、御朱印ありがとうございました。

 

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