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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町赤神 赤神神社

赤神神社(あかがみじんじゃ)は、北海道松前郡松前町赤神383番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は大山津見大神(おおやまつみのおほかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で例祭日は6月12日。

 北から茂草、静浦、赤神と連続する集落の赤神川右岸の松前町立小島小学校舎隣にあり、昨今の情勢からちょっと参拝には注意が必要かも。

一ノ鳥居と社号標

赤神地区

 かつては赤神村(あかがみむら)であり、1923年(大正12年)4月1日に松前郡根部田村、赤神村、札前村、茂草村、雨垂石村が合併し、小島村が発足し赤神村としては消滅しました。1954年(昭和29年)7月1日 松前郡松前町、大沢村、大島村と合併し、松前町を新設しその一部となりました。

 赤神が地名として文書に出てくるのは、1702年(元禄15年)の元禄郷帳に「あか神村」、1727年(享保12年)享保十二年所附に「赤神村」、1731年(享保16年)の津軽一統志に「あかかみ 家十八軒」、1786年(天明6年)蝦夷拾遺では「家一〇戸たらず、二〇余人」とみえる。

地名の由来は不明ですが松前町白神と関連性が有るらしい。

赤神神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 創立年代不詳、もと旧小島村大字赤神村男女石に鎮座してあったが位置不適当のため現在地に奉遷したという。元禄5年再建。元治元年台風により社殿悉く破壊され同年9月新規に社殿並びに鳥居を建造して奉斎。明治9年10月20日村社に列せられた。同41年10月30日社殿改築落成。同42年1月18日無格社稲荷神社を合祀。大正8年10月本殿建築拝殿増築落成。同14年5月拝殿増築神饌所新築落成。昭和12年1月12日神饌幣帛料供進神社に指定される。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社 倉稲魂命 明治3年創祀 明治42年1月18日合祀
【所在地】
〒049-1643 北海道松前郡松前町字赤神383番地
【例祭日】
6月12日
【祭神】
大山津見大神(おおやまつみのおほかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
松前神楽 鎮釜湯立式

松前町HPまつまえの文化財より「赤神神社棟札」

指定    町指定
区分    有形文化財
指定年月日    昭和55年(1980)12月1日
所在地    松前町字赤神
赤神神社に保存されている棟札で、町指定となっているものは12枚あり、万延元年(1860)から大正13年(1924)までとなっている。
この棟札の1枚には、幕末の万延元年に、松前藩が直営で赤神の山の奥で鉛の採掘をし、働方が179人も働いていたことが記されている。
赤神鉛山の歴史は古く、寛永14年(1637)に開かれたとされ、明治、大正、昭和と戦後まで採掘が続けられた。
これらの棟札からは、鉛山のほか神社鳥居の建立、神殿の改築など赤神神社の変遷を知ることができ、地域の歴史、産業の盛衰、変化を知る上において貴重な資料である。

社号標には平成14年6月吉日とある

二ノ鳥居(一ノ鳥居もそうだけど最上部だけ色が違う)

石灯籠一対(平成28年6月吉日建立)

 

右手に忠魂碑(大正15年7月1日建立)

 

手水舎(手水鉢は昭和44年5月奉納)

 

 

狛犬一対(平成18年6月吉日建立)

 

 

社殿左隣りに無人社務所

鳥の巣が落ちていました

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