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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

古平郡古平町 琴平神社

琴平神社(ことひらじんじゃ)は、北海道古平郡古平町大字新地町86番地にある神社で旧社格は郷社。御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)で例祭日は7月10日。

古平市街地から美国に抜ける旧国道にあり、神社までは結構な勾配の坂道なことから普段は徒歩参拝であまり来る人もいなさそうです。

例大祭では、美国神社と同じく天狗の火渡りがあり、猿田彦により火渡りが行われます。

下の写真の参道も平地に見えるが実は結構な坂道

古平町

 古平町(ふるびらちょう)は、平地の少ない町域で殆どが山地や海岸線の崖が多く、古平川河口付近とその北の古平漁港付近に集落が密集しています。

 以前は、海岸線に国道が走り奇岩などを眺めながらドライブ出来ていたのですが、あの痛ましい豊浜トンネル崩落事故(1996年(平成8年)2月10日)以降、国道のルート変更がされ大部分が海から離れたトンネルとなり、全くもってつまらない道路になりましたね。

 古平は江戸時代初期より、松前藩の交易場所であるフルビラ場所が開かれニシン漁によって栄えていました。

古平の地名由来はアイヌ語なのですが、ここも美国と同じく元の言葉から訛って伝わり本来の意味がわからなくなった地名です。

北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
ピラ <kur-pira> 模様ある岩山(影・崖) この海岸に雲形の模様が有る岩山があったため。
ピラ <hur-pira> 小さき山の崩(丘の・崖) 丸山岬あたりの地名か。
フレピラ <hure-pira> 赤崩平(赤い・崖)古平川の南の崩岸を指していったもの。
とあり、「諸説あり特定しがたい。」という補足を付けています。

大正6年測図地形図

琴平神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 慶応元年(1865)箱館奉行所へ願い出で、丸山山麓に社地の割譲を受け、慶応2年、京都より大物主神の御神体を下附され、同年6月勧請、崇徳天皇を配祀し、御霊代は開拓使から下附された。慶応3年5月丸山麓に仮社殿を建設鎮座し、明治4年、桧及び欅材で神明造の神殿入母屋造の拝殿造営した。明治8年、郷社に列せられ、古平郡の鎮守となる。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和21年、宗教法人となった。昭和24年、古平町西部大火に遭い、御神体を除き全てを焼失し、浜町恵比須神社に併祀したが、昭和25年、旧社地に篤志家の寄附金と氏子の労力奉仕により本殿と仮社務所を再建遷座祭を斎行した。昭和35年、旧社地中央を国道が通ることとなりやむなく移転を決定し補償金で土地を取得、本殿・仮社務所を移築した。(新地町86番地)昭和36年、幣殿・拝殿を造営し、7月に遷座祭を斎行した。
【所在地】
〒046-0112 北海道古平郡古平町大字新地町86番地
【例祭日】
7月10日
【祭神】
大物主神(おおものぬしのかみ)
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
崇徳天皇(すとくてんのう)
【旧社格】
郷社
【合併により合祀された歴史をもつ御祭神】
恵比須神社 事代主命 保食神 平成11年7月合祀
稲倉石神社 金山彦神 金山姫神 大山祇神 昭和60年6月合祀
【特殊神事】
御例祭7月10日神輿渡御を終え御旅所である浜町恵比須神社へ宮入りする前に境内で、又、7月11日本社へ宮入りする前にカンナ屑を燃やした篝火の炎の中を猿田彦、神輿の順で、火の粉を空にまきあげながら3度ずつ火渡りをする清めの神事がある。
【境内外末社】
稲荷神社 保食神

社号標には昭和2年7月10日例祭とあります

 

鳥居を過ぎて左側には集められた庚申塚が置いてあります

手水舎は壁付きなもので水盤の年代が確認できません。

 

石灯籠一対(大正15年1月建立 奉納者の還暦記念)

 

無人の大きな社務所

二ノ鳥居

鳥居脇に石灯籠一対(建立日不明)と左奥には祭具庫と御神輿庫

 

 

石灯籠一対(平成17年7月吉日建立)

 

狛犬一対(多分石灯籠と同じく平成17年7月吉日建立)

 

 

社殿左側に忠魂碑

 

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