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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】函館市(旧南茅部町)臼尻町 臼尻厳島神社

臼尻厳島神社(うすじりいつくしまじんじゃ)は北海道函館市臼尻町151番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で例祭日は7月7日。

 長く狭い参道の両側には住宅が建ち、道路を一本挟んでから多少広い境内になります。近くのお寺の住職さんが参拝に来ていたのには、ちょっと驚きました。

拝殿にある宮彫りが素晴らしかったです。

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旧南茅部町

 旧南茅部町は 2004年(平成16年)12月1日に函館市に編入される前にあった町で、地名由来は和名+アイヌ語転訛名で臼尻村・尾札部村の合併に際して、茅部郡の南端に位置していることから命名された。「茅部」は「カヤウンペ<kaya-un-pe>帆・の・所」などが語源と言われている。kaya(帆)は、帆の形の岩や崖の所の地名に使われることも時々ある。臼尻(うすじり)はアイヌ語のウソシリ<us-or-siri>(湾内の・島)が語源です。

 この地域の特産品は昆布で、我が国初の昆布養殖事業に成功するなど発展を続け「白口浜真昆布」として知られる昆布を生産しています。天然昆布はその昔、松前藩が朝廷や将軍家に献上したことから「献上昆布」とも呼ばれていました。

 また、大謀網漁業発祥の地であり、1839(天保10)年には、回遊してくる魚を定位置に仕掛けた網で漁獲する「大型定置網(大謀網)漁法」をいち早くとり入れました。臼尻の小川屋幸吉と尾札部の飯田屋三代目与五左衛門が南部の人田鎖丹蔵を網大工として招いて、小川屋幸吉は弁天島沖に、与五左衛門は黒鷲岬の沖に鮪の大謀網を建てたのが、北海道の大謀網のはじまりと伝えられています。

 そして、古くから海岸線沿いには人が住んでいたようで、縄文時代の北海道唯一の国宝・中空土偶が出土され、数多くの遺跡があり、現在も発掘調査が行われています。

臼尻厳島神社

南茅部町史では、『享保の頃、知行主新井田金右衛門が当海岸勤番見分の砌り、海上暴風にあい臼尻の澗に避難したとき、形よき石を建てて海上の安全を感謝し祈願したのがはじまりで、のち、宝暦三年(一七五三)村民協議のうえ安芸の宮島にいたり、市杵神社の神影を勧請(かんじょう)して弁天島に祀ったという。以来、人びとは弁天さまと呼び、この島を弁天島と呼んだ。』とあります。

享保三年(一七一八)  臼尻開村
享保の頃(一七一六~三六)  臼尻弁天島に海上安全の守護神を祀る
                 松前藩士オサツベ場所知行主新井田金右衛門
宝暦三年(一七五三)四月   臼尻厳島大明神創建
                 臼尻村民安芸の宮島に至り勧請
宝暦一一辛巳年(一七六一)   七月二〇日  臼尻厳島社再立
                 八月五日   臼尻稲荷社再立
文政八乙酉(一八二五)七月廿三日 臼尻厳嶋大明神 拝殿再建 天下泰平 亀田村神主(亀田八幡宮)藤山大膳正藤原荘房

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 当村は享保年間より渡来してくる人々が増加し宝暦3年4月村民協議の上安芸国宮島の厳島神社の御分霊を字辨天島に奉斎したことに始まる。明治9年村社に列せられる。同27年11月21日社殿を改築、大正12年6月14日神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和11年11月5日に境内地増加の件を出願し許可を得る。同15年には社殿を改築し現在に至る。
【所在地】
〒041-1613 
函館市臼尻町151番地
【例祭日】
7月7日
【祭神】
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
【旧社格】
村社

【特殊神事】
松前神楽

参道の先を歩く住職さん。気さくな方で参拝終わったら寺に寄ってみてと言われましたが、時間もなかったので遠慮させて頂きました。

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石灯籠(●●●●七月吉日建立)軸のあたりの風化で年号が読めませんでした。

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道路を挟んで広がりのある境内に。

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狛犬(明治8年5月建立)風化してきて丸みを帯びてますが、口を大きく開いて威嚇する阿形の表情は好きです。

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手水舎 手水鉢も狛犬と同じ石材なのですが奉納年は刻まれていません。

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二ノ鳥居と三ノ鳥居(昭和61年5月建立)明治はじめの「明治五年壬申八月巡回御用神社取調」では神門六基、内石造一基とあり鳥居が6基あったそうです。

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御降誕記念碑 裏面には昭和八年十二月二十三日皇太子殿下御降誕記念とあります。(退位なされた上皇陛下のことです。)

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小さいけど、さざれ石っぽく見える石。

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すごい宮彫りでしばらく眺めていました。

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獅子鼻(右)

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下に獅子、上には鳳凰。

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獅子鼻(左)

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向拝下にあるこれも懸魚っていうのか、こちらは亀ですね。

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境内社:稲荷神社

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社殿右側にある社務所と挟まれた木造の建物は旧社務所だったのでしょうか。

それにしても宮彫りのある社務所なんて見たことがないので調べてみたら、この屋根の部分は明治6年に再建の旧拝殿のものだったみたいです。

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波間に兎が三体いますね。

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御朱印

何回か来たことがあるのですが、社務所はいつも無人で御朱印は無い物だと思ってましたが、今回は車が停まってるじゃないですか!

恐る恐る聞いてみた所、若い宮司さんで鹿部稲荷神社の方です。(ということは以前の宮司さんは亡くなられたのですね)

たまたま奉仕で神社に来てお昼ご飯を食べている最中でした(汗)

食事が終わってからで良いので御朱印をお願い出来ますか?と訪ねたら快く引き受けて下さりました。

御朱印ありがとうございました。初穂料は300円納めさせて頂きました。

 

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