page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】函館市(旧戸井町)浜町 宮川神社

宮川神社(みやかわじんじゃ)は北海道函館市浜町630にある神社で神社本庁に属さない北海道神社協会の神社です。旧社格は村社。御祭神は大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で例祭日は9月18日。

f:id:ksn-bee:20190615233115j:plain

 戸井町の地名由来はアイヌ語のチエトイペッ<ci-e-toy-pet>(われら・食べる・土・川)食土(珪藻土のこと)ある所。トイオイ、トヨイ<toy-o-i>((食べる)土が・ある・所)トヨイはトイオイを続けて読んだ形である。から来ています。

 ※戸井町史の解釈はこれに真っ向から否定する見解でして、トヨイ、トユイ <?> (土または赤土) 食糧が豊富であった道南では、飢餓の時に土を食ったという記録もないし、伝説もない。運上屋のあった付近に赤土が露出していた場所があり、そこに名付けられたものと推定している。と、述べています。

 平成11年度に北海道が設置したアイヌ語地名普及会議の意見は、『いずれにせよ「toyがあった」ことが名の元と考えるのが自然と思われる。』と、締めくくっています。

宮川神社

以下は戸井町史から

明和2年(1765)に 館鼻(現在の函館市戸井支所付近)に宮川神社が創建された。祭神は大日霊貴命である。岡部館時代に館の近くに建てられた祠が、この神社の草創と思われるが、全然記録がない。最も古いと思われる棟札に「奉納宮川大明神、講中豊井村」記されているのは注目すべきである。

f:id:ksn-bee:20190615230636j:plain

奉納 宮川大明神 講中豊井村
        池田屋 重兵衛  斉藤屋 文五郎
        池田屋 豊 松  池田屋 金 蔵
        布施屋 源次郎
           (裏面は削られて文字なし)

鎌歌稲荷神社
 明和四年(1767)の創建と伝えられ、祭神は倉稲魂命である。この神社は氏子が少なくなり、維持が困難になったため、昭和26年宮川神社に合祀されました。

戸井館(岡部館)

 松前藩の歴史書『新羅之記録』には戸井館の存在は全く記述が無く、「道南の十二館」にも戸井館の名前が出てこないことは、コシャマインの戦い以前にすでに消滅していたのであって、文献にも登場しなかったのであろう。

 松前藩の学者・蠣崎敏がまとめた『松風夷談』には、文政四(一八二一)年、一人の松前藩士が岡部の澗という入り江の通称岡部館付近で、古い石碑とともに古銭を発見したという。石碑には「岡部之弥太(岡部忠澄)六代孫岡部六郎左衛門尉季澄」と刻まれており、発見された古銭の数は約六万枚(六二貫余)で最新銭は永楽通宝であったという。永楽通宝の初鋳年は1408年であることからその時代に館が岡部季澄によって築造されたとみられる。また同時期に築造されたであろう志苔館より東にあることから、この館は東部アイヌとの境界に接した最東端に位置することを意味する。

戸井の館跡附近から出土した古銭(文政4年)

f:id:ksn-bee:20190616210810j:plain

《松前藩の調査結果、古銭は六十二貫余、その種類は開元通宝(六二一年)景徳元宝(一〇〇四)元豊通宝(一〇七八)元符通宝(一〇九八)大観通宝(一一〇七)洪武通宝(一三六八)永楽通宝(一四〇八)などであり、その外に水晶、メノウ、朱砂などの宝石類が一〇〇余品あった》

 戸井館は1457年コシャマインの戦い以前のある時期に、アイヌとの抗争によって落城し、その館主岡部季澄は落ち延びて松前原口に『新羅之記録』に出てくる「道南の十二館」の一つである原口館を築きました。原口館も長禄元年(1457)コシャマインの戦いにより落城。その後の文献にも出てこないことから滅亡したと思われる。

神社に向かう道中の国道脇には戦時中未完成に終わった戸井線のアーチ橋が見えます。

f:id:ksn-bee:20190615232947j:plain f:id:ksn-bee:20190615232957j:plain

旧国道から伸びる長い参道の石段は、ちょっと辛そうなので直接車で社務所に向かいました(笑)

f:id:ksn-bee:20190615233006j:plain

石段を登りきった先には国道の戸井バイパスの陸橋。

f:id:ksn-bee:20190615233017j:plain

この戸井バイパスは未成に終わった戸井線跡を使っています。

f:id:ksn-bee:20190615233031j:plain

f:id:ksn-bee:20190615233041j:plain

春日灯篭(年代不明)

f:id:ksn-bee:20190615233103j:plain f:id:ksn-bee:20190615233051j:plain

f:id:ksn-bee:20190615233115j:plain

伏せ狛犬(年代不明)は頭部の風化が著しく顔が無くなりつつあります。明治に出雲(来待石)の石工が製作した狛犬に似ている。参考(諏訪社 新潟市江南区細山)

f:id:ksn-bee:20190615233124j:plain

f:id:ksn-bee:20190615233136j:plain

f:id:ksn-bee:20190615233147j:plain

f:id:ksn-bee:20190615233158j:plain f:id:ksn-bee:20190615233211j:plain

忠魂碑(大正6年8月建立)元は山の中腹に建立したものを宮川神社境内に移設。安正書と彫られているのは陸軍大将男爵 福島安正のことである。

f:id:ksn-bee:20190615233224j:plain

御朱印

社務所と木札がある所にはチャイムがないので、住宅側の玄関のチャイムを押してお願いしました。

初穂料は300円を納めさせて頂きました。

御朱印ありがとうございました。

f:id:ksn-bee:20190615233234j:plain f:id:ksn-bee:20190615233245j:plainf:id:ksn-bee:20190615233327j:plain

※神社右隣(忠魂碑のある方)にある住宅はあまりジロジロ見ずに避けたほうが良さげ。

 

www.moiwa-orosi.com