市来知神社(いちきしりじんじゃ)は北海道三笠市宮本町488番地にある神社で旧社格は郷社。例祭日は9月5日。
現在は居ないようですが神社裏の杜にはフクロウが住んでいたことで有名でした。社名の市来知(いちきしり)は創建時に市来知村だったことによります。
市来知
市来知(いちきしり)は、アイヌ語のイチキリウシイ・イチキルシが語源で、〈それ(熊)の・足(跡)が・多くある・所〉を意味します。
1882年(明治15年)に空知集治監(現在の刑務所)が設置されると、そこで働く人々や彼らに飲食を提供する人々も集まり、何もなかった土地に戸数87戸人口617人という集落が出来上がり、市来知村(いちきしりむら)が開村しました。
空知集治監:この集治監には主に刑期10年以上の重罪犯が収監され、炭鉱労働や開拓作業などの労働に使役されました。空知集治監の収監者数は、北海道内の集治監で一番多かったことがわかっています。これは、石炭を多く採掘することを目的として炭鉱労働に囚人を用いたためであり、いかにエネルギー資源である石炭が重要であったのかがわかります。また、空知集治監には政治犯も収監されていました。その中には自由民権運動に関わった者もおり、明治24(1891)年には自由党総裁の板垣退助が慰問に訪れたこともありました。
三笠市HP(7.空知集治監の設置)から転載。
1906年(明治39年)4月、市来知村・幌内村・幾春別村の3村が合併して三笠山村ができました。その後、1942年(昭和17年)三笠町、1957年(昭和32年)三笠市となり現在に至ります。
下:大正5年測図、昭和10年修正地形図から切り抜き。まだ現在の三笠市街地は形成されていませんね。(幌内線幌内太駅の対岸にある三差路辺り)
市来知神社
以下は北海道神社庁サイトから。
【由緒】
明治15年(市来知村開村と同時)達布山に小祠を建立したことに始まる。明治18年6月6日集治監による農耕の祭祀を達布山に於いて斎行、同19年には現在地に境内を定め神殿を建て7月7日遷座祭並びに初めて例大祭を執り行う。同21年10月10日無格社に列せられ社名を市来知神社と称え、競馬場も新たに完成、同34年集治監廃監後例祭日を8月5日に、同42年から9月5日に変更する。大正5年社殿改築社務所新築鳥居建設し同9年9月6日村社に昇格。昭和16年神社及社務所を造営、同18年11月19日郷社に昇格した。同21年宗教法人令により法人神社の登記を完了する。同26年幌内太神社合祠、同37年競馬場廃止跡地に三笠市立総合病院を建設(三笠市に用地貸与)、同56年市来知神社創祀百年記念として境内地に演舞場を建設、平成3年神社創祀百拾年祭を奉仕する。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
幌内太神社 創祀不明 昭和26年合祀
【所在地】
〒068-2156 三笠市宮本町488番地
電話 01267-2-2071 FAX 01267-3-2750
【例祭日】
9月5日
【祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
大國主神(おおくにぬしのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
【旧社格】
郷社
【社宝等】
北海道百年記念樹(アカマツ)
【境内外末社】
岡山神社(おかやまじんじゃ) 天照大御神 豊宇気毘売神 大山祇神
平成13年神社創祀120年祭、併せて三笠市唐松町鎮座の新幌内神社合祀祭を奉仕する。
道道116号岩見沢三笠線に面して一ノ鳥居と参道があります
渡辺惟精翁顕彰碑
空知集治監(刑務所)の初代典獄(刑務所長)である渡辺惟精(これあき)の功績を称える碑
北海道記念保護樹木になっている赤松並木
市道を渡って続く参道
入り口の由緒書
手水舎
カラスの水浴びを阻止するためか覆われてます
常時流水で、ゴミもなくきれいな水で冷たいですね
二ノ鳥居
狛犬は昭和9年生まれ
大きな御神木
石灯籠(昭和十六年御造営記念)
御朱印
市道から参道左側に出入り口があって小坂を登ると駐車場と社務所があります。小坂手前にはトイレ(中は結構きれい)があって助かりました^^;
丁寧な応対の宮司さんでした。
初穂料は300円。