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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】函館市庵原 大山祇神社

大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)は、北海道函館市庵原町79番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)で例祭日は5月12日。現地由緒書には祭神に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)も書いてあるが、北海道神社庁誌には記載されていない。

樹木が鬱蒼としていて高台であっても見晴らしは良くなく、蚊が多くて対策が必要でした。

 神社は汐泊川中流域の庵原(いおはら)地区に位置し、南茅部活汲に抜ける主要道道83号函館南茅部線沿いの汐泊川右岸独立丘にあります。

この高台はアイヌのチャシ跡(亀尾神社チャシ跡 登載番号 B-01-080)と登録されていますが、遺構は神社境内で改変されたのかありません。

庵原町の地名由来は、1855年(安政2年)水戸藩士の庵原菡斎が家臣や人を雇い自費で開拓したことから名付けられました。

大山祇神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 安政元年6月の創祀。明治5年に改修、同9年には村社に列せられる。同35年2月9日に火災により焼失し、同年10月9日に再建の許可がおり同年11月10日に竣功、大正2年8月7日、亀田郡湯川村大字亀尾村の無格社、大山祇神社を合祀した。

合併により合祀された歴史をもつ御祭神
大山祇神社 大山祇神 安政2年創建、大正2年8月7日合祀
【所在地】
〒040-0904 北海道函館市庵原79番地
【例祭日】
5月12日
【祭神】
大山祇神(おおやまつみのかみ)
【旧社格】
村社

さてと登りますか…

中段に石灯籠一対(昭和14年11月17日建立)

 

最上段になかなか良い表情の狛犬一対(昭和38年5月12日奉納)

 

 

手水舎

明治天皇~碑(埋まっていてわかりません)

判読不能な碑

何らかの理由で奉納された石碑

獅子鼻はなんかキャラクターチックなんですよ

 

梁には龍

蚊がいっぱいで嫌になったんで帰りますよ~

御朱印

本務社の上湯川稲荷神社にていただきました。

お忙しい中ありがとうございました。

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【御朱印】函館市亀田町 亀田龍神社

亀田龍神社(かめだりゅうじんじゃ)は、北海道函館市亀田町6-22にある神社で御祭神は龍神、例祭日は不明。ネット情報によると1970年(昭和45年)に龍神が住むと云われていた池の埋め立てを機に小祠を祀ったのが始まりだそうで。兼務社に穴澗龍神社。

 亀田八幡宮近くの国道5号とJR函館本線の間に位置し、隣にはタクシー会社の美咲第一交通があるので目印になります。

社号標(平成3年10月吉日建立)

 

手水舎

 

御朱印

神社とタクシー会社との間に、社務所兼住宅があり其処でいただきました。

御朱印ありがとうございます。

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上磯郡木古内町札苅 西野神社

西野神社(にしのじんじゃ)は、北海道上磯郡木古内町札苅322にある神社で旧社格は村社。御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で例祭日は8月18日。

国道228号の札苅郵便局のそばに神社はあり、参道はまっすぐに見えて実は微妙に曲がっています。社殿は奥の海岸段丘上にあってその裏手には閉校した旧札苅小学校の敷地が広がっています。

札苅地区

 かつては札苅村(さつかりむら)であり木古内村の北東に位置し、1824年(文政7年)の上原熊次郎「蝦夷地名考並里程記」に「夷語シラッカリなり。磯の端と訳す。此所海崖磯ありて、夫より喜子内、知内迄の内磯なきゆへ地名になすといふ」とある。1702年(元禄15年)の元禄郷帳の「従松前東在郷并蝦夷地之覚」に「しやつかり村」、1727年(享保12年)享保十二年所附に「一 志やつ狩村 こふれ 此辺しなの木沢迄一里 橋こふれ」、1731年(享保16年)の津軽一統志の「松前より下狄地所付」に「さすかり」とあり、「川有 是迄三里 是より狄あり」と記される。家四、五軒があった。1834年(天保5年)天保郷帳(松前嶋郷帳)の「従松前東在」に村名がみえる。

1902年(明治35年)に上磯郡木古内村、釜谷村、泉沢村、札苅村(さつかり)が合併し上磯郡木古内村となり札苅村は消滅した。

札苅(さつかり)の地名はアイヌ語で、シラットゥカリ<shirar-tukari>岩の・手前、シラット゚カリ<shirattukari>岩磯のこちら側が転訛した地名。

西野神社

以下は、北海道神社庁誌(1999、絶版)神社本庁包括外神社のうち北海道神社協会の項から。
【由緒】
 元禄五年(一六九二)の創始。明治八年に村社に列せられる。同二十六年十月には社殿が新築され、大正九年七月十八日には神饌幣帛料供進神社に指定されている。境内の稲荷神社は元禄七年に建立された。
参考文献『「木古内町史」第一二章宗教』
【所在地】
〒049-0400 北海道上磯郡木古内町字札苅322
【例祭日】
8月18日
【祭神】
日本武尊(やまとたけるのみこと)
【旧社格】
村社

鳥居前に神社にはおなじみの水準点(一等水準点6339 H=3.4304m 平成15年設置)

一ノ鳥居

狭い参道幅の割にでっかい石灯籠一対(建立日メモるの忘れ…)

 

段丘上と言ってもこの程度の高さです

小さい手水舎

手水石は天保6年(1835年)5月奉納

 

石灯籠一対(昭和64年10月1日建立)

 

 

丸っこい狛犬一対(昭和3年11月建立 御大典記念)

 

 

唐破風には波間に亀

上の破風の懸魚は鶴

 

境内社:稲荷神社(元禄7年創祀)

 

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上磯郡知内町上雷 上雷神社

上雷神社(じょうらいじんじゃ)は、北海道上磯郡知内町上雷1番地にある神社で旧社格は無し。御祭神は別雷神(わけいかづちのかみ)、加茂御祖神(かもみおやのかみ)で例祭日は9月21日。

旧雷公神社創建の地であり、雷公神社が大正4年に遷宮後は上社としての位置づけみたいです。

上雷(じょうらい)地区

   かつてこの地に雷公神社(らいこうじんじゃ)があったことから「かみいかつち」と呼ばれていましたが、昭和になってからジョウライと呼ばれるようになりました。
雷公神社は祭神別雷神・加茂御祖神を祀る旧村社で、砂金掘りのために甲斐の国から知内に来た荒木大学が創建したと伝えられ、社伝によると造立は1244年(寛元2年)、京都上賀茂・下鴨両社より霊代を奉遷したのに始まるという(祭神記)。「福山秘府」に雷荒神社(元和4年造立)がみえる。雷公神社は1915年(大正4年)に知内中心部の元町へ遷宮し、ここは上雷神社となりました。

上雷神社

以下は、北海道神社庁誌(1999、絶版)神社本庁包括外神社のうち未公認神社の項から。
【由緒】
暦仁元年、山城国加茂下上両宮より御霊代を奉還して雷公神社と称したことに始まる。
参考文献『知内町史』
【所在地】
〒049-1107 北海道上磯郡知内町上雷1番地
【例祭日】
9月21日
【祭神】
別雷神(わけいかづちのかみ)
加茂御祖神(かもみおやのかみ)
【旧社格】
-

雷公神社の杉

  雷公神社は、1244年(寛元2年)に建立された上賀茂社と下賀茂社の2社が、1458年(長禄2年)頃合併して現在の上雷神社の場所に再建されたと言われています。大正4年までここに雷公神社がありました。
  この杉がいつ誰によって植えられたかは不明ですが、雷公神社の歴史を示す大切な郷土の古木として指定されました。

幹周り/370cm 樹高/20m 樹齢/300年(推定)

 

石灯籠一対(平成2年9月吉日建立)

 

雷創拓碑(平成16年10月建立、知内町史編集委員能代久司書)

 

狛犬一対(平成2年9月吉日建立)

 

社殿右側に倉庫

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上磯郡知内町重内 重内神社

重内神社(おもないじんじゃ)は、北海道上磯郡知内町重内125番地10にある神社で旧社格は無格社。御祭神は不動明神(ふどうみょうじん)、別雷神(わけいかづちのかみ)、加茂御祖神(かもみおやのかみ)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で例祭日は9月15日。

 神社山麓に拝殿、山頂に本殿がありその階段は210段ともいわれ下から見たら「登るのやめるか・・・」と思わせる高さです。けど、車で山頂まで行ける道路が整備されていて(道路は上りと下りの経路が違う一方通行ですので逆走注意ですよ!)大いに助かります。

重内の地名由来はアイヌ語で、近くを流れる重内川から来ており
オムナイ<o-mu-nay>[川尻・塞がる・川]の意です

重内神社

以下は、北海道神社庁誌(1999、絶版)神社本庁包括外神社のうち北海道神社協会の項から。
【由緒】
 明治25年、福井県からの入植者林七郎兵衛ほか十数戸の人々が郷里の大野郡富田村の氏神を、祠を建立して祀ったことに始まる。その後、不動明王を地域の守り神とし社名を重内神社とした。後に雷公神社祭神二柱を増祀し法人登記する。昭和五十一年には神社山の山頂に本殿を、同五十四年には拝殿を新築し、神社山一体を公園化、頂上には展望台を設け遊歩道等を整備する。
参考文献『知内町史』
【所在地】
〒049-1103 北海道上磯郡知内町字重内125番地10
【例祭日】
9月15日
【祭神】
不動明神(ふどうみょうじん)
別雷神(わけいかづちのかみ)
加茂御祖神(かもみおやのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【旧社格】
無格社

開拓記念碑

明治の初期に福井県から重内平野に入植した記念に、北海道百年を機に重内部落会が建立したもので、碑文には苦労しながらも開拓を成し遂げた先人たちの偉業を賛えています。

 

石灯籠一対(昭和54年9月建立)

 

立派な手水舎

手水石(昭和54年9月奉納)

 

狛犬一対(建立日不明)

 

脚の間にはチビ狛犬が

 

拝殿

 

由緒書

本殿は山頂にあるんです。(階段は約210段という話)

 

車で登る道があるので助かります。下を見ると結構な高低差ですね。

本殿

石灯籠一対(昭和54年9月建立)

 

海岸から一直線に伸びる道がなんかいい

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上磯郡知内町湯ノ里 湯ノ里稲荷神社 玄狐(げんこ)伝説に関係がある神社

正式名称は稲荷神社ですが、あちらこちらにあるので地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

湯ノ里稲荷神社(ゆのさといなりじんじゃ)は、北海道上磯郡知内町湯ノ里155-2にある神社で旧社格はなし。御祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、大山祇命(おおやまつみみこと) 、馬形神(うまがたじん) で例祭日は9月14日。

二本の大きな木が特徴的な神社です。

玄狐(げんこ)伝説

松前藩第13世松前道広の命令で撃ちとった黒狐の祟りが起きたらしく、そこで城下に小祠を建てて狐の霊を供養したもの。享和2年(1802)城下唐津内沢奥に一社、知内に末社(現:湯ノ里神社)を建て玄狐(げんこ)稲荷と呼ぶ。城下のお社は後に熊野神社に移設。知内の玄古稲荷は、現在湯の里地区の湯ノ里稲荷神社に祭られています。

知内町雷公神社略記には、
玄古稲荷社
稲荷社は旧城内社として北の丸にて祈祷のところ19代大野土佐重正、命により当所に奉祀
(建立)寛政3年(1791年)
とあります。

湯ノ里地区

 湯ノ里の地名は和名で、この地区にある北海道最古といわれる知内温泉が由来とされています。知内温泉の開湯は1247年(宝治元年)で、砂金掘りに来た掘子が発見したといわれている。ただし、以前からアイヌの人々が利用していたとも言われる。1624年(寛永元年)には松前藩によって湯治場として整備され、歴代の松前藩主が湯治に訪れた。

 湯ノ里地区は昭和4年の地番改正までは萩砂里(ハギサリあるいはハギチャニ)と呼ばれ、アイヌ語のハ・イチャニ<hak-ichan-i>(浅き鮭の産卵場)に由来。現在その名前は知内川に架かる萩茶里橋にその名が残っています。

1727年(享保12年)享保十二年所附の福島村と尻内村の間に「湯の坂 湯の尻 ちらちら 萩ちや里(中略) 浅堀(中略) 上いか土 下いか土」などが記されている。

湯ノ里稲荷神社

以下は、北海道神社庁誌(1999、絶版)未公認神社の項から。
【由緒】
 明治以前、温泉入口に八木藤兵衛なる者が稲荷神社を建立したことに始まる。この人物が函館に移住した後の明治二年、現在地に社を移して祀った。(参考文献:知内町史)
【所在地】
〒049-1221 北海道上磯郡知内町湯ノ里155-2
【例祭日】
9月14日
【祭神】
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
大山祇命(おおやまつみみこと) 
馬形神(うまがたじん)
【旧社格】
-

鳥居と狛犬だけで手水舎及び石灯籠もない寂しい神社です。

狛犬一対(昭和60年9月13日建立)

 

 

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