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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】茅部郡鹿部町大岩 大岩稲荷神社

大岩稲荷神社(おおいわいなりじんじゃ)は、北海道茅部郡鹿部町大岩111-12にある神社で旧社格は無し。御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)で例祭日は不明。

 鹿部町役場付近の国道バイパス交差点を、特別養護老人ホーム「渡島リハビリステーションセンター」へと曲がり、そのまま道なりに舗装道路を行くと道が無くなる通行止めの右側に神社はあります。周囲は民家も無くすごく寂しい所で、夕方参拝なのですが熊が出そうでちょっと怖いです。

大岩地区

 神社のある場所は現在は大岩地区と呼ばれているが、古い時代には神社隣りにある常路川を挟んで鹿部側がザルイシ、南茅部側がトコロと呼ばれ、菅江真澄の「えぞのてぶり」の寛政3(1791)年5月の記述にネタナイ、ウスジリ、ボヲロを過ぎて、トコロザルイシ、シュシュベツ、カムイ、シリカベツ(シカベ)、スクノヘ、ホンベツ、相泊の様子が描かれる。トコロには、運上屋があり、その隣にアイヌのチセがあったらしい。1845年(弘化2年)の蝦夷日誌には「シシベ 同じく岩石さき也、ザル石 少しの沢目にて細流れ 昆布取小屋有 〈中略〉トコロ川 此川 臼尻、シカベの境なり 越て岩石原少し行て、トコロ 夷人小屋一軒 昆布取小屋左右に多し 少し行て、五段瀧」とある。

 江戸時代にトコロはオサツベ場所に含まれ、のちウスジリ領(持)となり、明治13年には熊泊村(現南茅部町)支トコロ、翌明治14年に分割して鹿部村に移された。1876年(明治9年)漁場収穫高調書」では所呂―大岩―亀泊と常路の隣に大岩の記述が出てきている。昭和15年6月15日鹿部村の字名地番改正により常路地区は大岩と改められ、旧地名は常路川にその名残をとどめています。

 常路の地名由来はアイヌ語から来ていますが諸説あり、アイヌ語トー・コロ、沼湖水のあるところに由来するとも、「地名解」には「差出たる処、又土地の出来たる処」ともされるが、菅江真澄は「トコロという磯に船をつけた。ここに萆薢(ところ)のカツラが多いので、その名があるのだろうか。」と残しており、萆薢はヤマイモ科の多年生の草根で自然生芋ともいわれ食用にしました。また明治15年の「鹿部村トコロ名称ノ儀上申」においても「「アマトコロ」ト称フル草繁生、土人或ハ昆布取リ入稼ノモノ之ヲ掘テ其根ヲ食セシヨリトコロノ字ヲ付シタル様子」としている。
「ザル石」については地名解がみられないが、菅江真澄はアイヌ語で「ザルウシ」と記録している。「ザル」は「サル」<sar>の転訛したもので「葦原、湿地、沼地、薮」のことで「-ウシ」<us-i>は「-群生する、-あるところ」の意とみられる。海岸にはそのような場所は見受けられないが、段丘上の古い河岸段丘崖とみられる崖と海岸段丘崖が接する部分は低みになり水が湧いているとのことであった。

現在の大岩の由来は和名で、「大きな黒い岩があった(角川地名大辞典1)」ことから名付けられたとあります。

東西蝦夷山川地理取調図

20万分1北海道実測切図  北海道庁 明治23-大正9年 (1890-1920)

大正4年測図 地形図

大岩稲荷神社

以下は、北海道神社庁誌(1999、絶版)未公認神社の項から。
【由緒】
 東蝦夷地道中畧記にトコロ「稲荷の宮あり」と記され、寛政年中(一七九〇年代)より以前にあったとされ、古老の話では、現在の椎野家の西側の山裾に神社があり、境内に湧く岩清水は、稲荷さんの水といった。昭和十五年に大岩と字名改正したが、同二十年七月十五日の鹿部空襲で損失したので、ちがいさんぎ(乂編の下に川と書かれた漢字)の山の竜神社に遷した。戦後、山上に社殿を建立して遷座、昭和三十一年鹿部神社の旧社殿の一部を移して増改修した。(参考文献:鹿部町史)
【所在地】
鹿部町字大岩(現〒041-1401 北海道茅部郡鹿部町大岩111-12)
【例祭日】
不明
【祭神】
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
【旧社格】
-

鳥居には奉納 昭和56年6月吉日 氏子一同とある

報恩の碑(平成13年春建立)

 

御朱印

鹿部稲荷神社で稲荷印ですが書いていただきました。

お忙しい中ありがとうございました。

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