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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】函館市古武井町(旧恵山町古武井) 海積(わだつみ)神社

海積神社(わだつみじんじゃ)は、北海道函館市古武井町37番地にある神社で旧社格は無格社。御祭神は海津見神(わだつみのかみ)で例祭日は7月2日。

国道278号を離れ恵山市街地に向かう道道元村恵山線に入り少し進むと、古武井集落にある旧道との分岐がありますのでそれを進むと山側に神社が見えます。

古武井地区

 かつての尻岸内(しりきしない)村昆布井(こぶい)であり、いつの頃から昆布井→古武井になったのかは不明。村は1964年(昭和39年)11月1日に町制施行により尻岸内町に。1985年(昭和60年)4月1日に恵山町に改称。2004年(平成16年)12月1日には戸井町・椴法華村・南茅部町・恵山町が函館市に編入されました。

 古武井は天保郷帳にみえる地名で尻岸内持場の一つであり、現町域の北部からほぼ南流する古武井川の流域一帯にあたる。1702年(元禄15年)の元禄郷帳の従是蝦夷地に「こぶい」、1727年(享保12年)享保十二年所附には「一 知岸内(中略)昆布居」とある。「コブト」(松前広長「松前志」)、「コフイ」(松前国中記)などとも表記される。「蝦夷商賈聞書」によれば「コブイ」は松前藩家老蠣崎内蔵丞の預で、産物は赤昆布・ウンカ昆布・黒昆布・シノリ昆布・フノリ、秋の猟は鮫・鰤。1731年(享保16年)の津軽一統志に「こふい から家二、三軒」とみえる。

 地名由来はアイヌ語らしく諸説あるが、山田秀三「北海道の地名」では
「古い地名だが意味が分からない。戸井のムイ島との関係で考える説も古くあったが、遠すぎる。元来の位置は、谷元旦蝦夷紀行に「石浜を過、ヲタ浜のタツツケに出、此処砂浜也、コフイ川を渡り浜中に入間あり、ホントマリという。又入間ありヤマセトマリと云う」とある処から察せられる。ヤマセトマリ(山背泊)は根田内(恵山)部落の西のはずれの処で、コフイ川は今の古武井川(相当な川)であろう。この一帯砂浜である。永田地名解はこの辺を「オタ・シュツ。沙傍。和人オタハマと云う」と書いた。元来の古武井はその辺のことであったろう。この辺、モイ(入江)がムイと呼ばれることが多い。もしかしたらそのムイに武井と当て字されたのかもしれない。」
要約すると、元来の古武井があった場所は古武井川周辺のあたりで古くはオタハマと呼ばれていた。この地域ではモイ(入江)がムイ呼ばれる事が多いのでムイ=武井となりました。ということですが前半との繋がりがわからない…

永田方正「北海道蝦夷語地名解」を読むと、「ウフイ ヌプリ Uhui nupuri 噴火山《「オフイヌプリ」ト云フ義同ジ松前人「コブイ」ト云フハ「オフイ」ノ訛ナリ此山ハ噴火ノ休山ニシテ硫黄ヲ以テ著ル」》
本田貢「北海道漢字解」でも、「ウフイuhui・ヌプリnupuri =火山」とあり、上記のことを言っているのでしょう。

東西蝦夷山川地理取調図から

海積神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 当社の創立年代は第106代桃園天皇の御代宝暦3年4月にして明治45年5月20日社殿腐朽甚しく且つ狹隘の為改築出願、大正元年9月17日許可、同年11月11日落成届出。明治9年に無格社に列する。昭和21年宗教法人令の手続を経て更に昭和26年宗教法人となる。
【所在地】
〒041-0524 北海道函館市古武井町37番地
【例祭日】
7月2日
【祭神】
海津見神(わだつみのかみ)
【旧社格】
無格社
【社宝等】
掛図
【特殊神事】
松前神楽
【境内外末社】
稻荷神社(いなりじんじゃ) 倉稻魂命(うがのみたまのみこと)

階段を上がった左に手水石(奉納年は不明瞭だが昭和30年11月?らしき文字が)

 

石灯籠一対(建立日不明)

 

社殿右手に大海津見神と刻まれた碑

なにかの石碑を取り壊した後で台座のみあります

 

社殿左には境内社の稲荷神社:倉稻魂命(うがのみたまのみこと)

参道正面には海があるのですが間に倉庫がありちょっと…

御朱印

尻岸内八幡神社にて参拝した写真を見せ御朱印をいただきました

お忙しい中ありがとうございました

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