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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【参拝印】松前郡福島町吉野 吉野八幡神社 礼髭の杉に圧倒される神社

正式名称は八幡神社ですが、あちらこちらにあるので地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

吉野八幡神社(よしのはちまんじんじゃ)は、北海道松前郡福島町吉野437番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で例祭日は8月17日。

国道228号から礼髭川(れひげがわ)沿いに上流に向かう小道を行くと、右手に白い鳥居が見えてきました。このあたりは集落の狭い生活道路が多いので駐車場所にはちょっと苦労しますね。

鳥居は3基あり、一ノ鳥居はシンプルな神明鳥居で二ノ鳥居と三ノ鳥居は両部鳥居となっています。

石段を登り左側には大きな枯木があり、さらに社殿を見ますと右隣には『礼髭の杉』と呼ばれる巨大な杉の木がデーンとあり圧倒されます。(北海道記念樹木に指定)

吉野地区

 福島町吉野はかつて礼髭(れいひげ・れひげ)村といい、近世吉岡峠(茶屋峠・おんない峠)から下る道は礼髭(れいひげ)村の折戸の沢を経て海岸に出た。急な下り坂で膝かぶが痛くなるのを押えながら、礼髭村に下るという状況で難所とされた。

 1731年(享保16年)の津軽一統志に「礼髭」とみえる。白神岬(現松前町)方面から大内峠(吉岡峠)を下ると礼髭で、「小舟 澗有 家二十軒」と記される。また「炭焼沢村より二里 れいひけ村迄」「れいひけ村より半里 をんない村迄」とみえる。

 1641年(寛永18年)村上系松前氏を継いだ松前広諶(二代藩主松前公広四男、延宝二年家老就任)が拝領し、のち同家の代々の知行所となっている(「福山秘府」、元禄一三年支配所持名前帳など)

 礼髭の地名由来はアイヌ語で、永田地名解によると「レブン・ゲ・プ」と書き、白神岬の東側で断崖で海になる場所という意味らしいです。(同じ名前では礼文華(豊浦町) レプンケ<repun-ke-p>[崩れたる崎]があります)

 1906年(明治39年)4月1日 北海道二級町村制施行により、松前郡吉岡村、礼髭村、宮歌村が合併し吉岡村となり、1955年(昭和30年)1月1日 吉岡村は松前郡福島町と合併し福島町になりました。

吉野八幡神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 寛文5年(1665)知行主松前左衛門広諶の創建。別当、藤井田(藤枝)大学院とあるのは宮歌八幡神社の2代目別当(修験者)であると考えられる。その後この神社は元文5年(1740)、寛延2年(1749)、宝暦6年(1756)、安永5年(1776)と修理補築が行われてきた。また松前藩の家老で文学者として有名な松前監物広長も此の神社を深く崇敬しその子鉄五郎広英は、父広長の遺品の抱琴をこの社に寄進していたが現在はない。

合併により合祀された歴史をもつ御祭神
船玉神社(ふなだまじんじゃ) 建波夜須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) 宝暦7年創祀 恵比須神社(えびすじんじゃ) 事代主神(ことしろぬしのかみ) 宝暦7年創祀 廣峰神社(ひろみねじんじゃ) 松前広峯(まつまえひろみね) 寛延2年創祀
【所在地】
〒049-1455 北海道松前郡福島町字吉野437番地
【例祭日】
8月17日
【祭神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
【旧社格】
村社
【社宝等】
杉木杉(北海道指定保護樹木)

両部鳥居の二ノ鳥居と三ノ鳥居

 

階段上部左側には大きな枯木があり、なかなかのものですね

 

手水鉢(意外と新しく明治26年とあります)

 

 社殿右隣には礼髭の杉と呼ばれる巨木

寛文5年(1665)の創建時に植樹されたもの

 

さてと戻りますか

御朱印

福島大神宮にて参拝した証の写真を見せ戴きました。
正式な御朱印は無く、宮司印なので参拝印となります。

www.moiwa-orosi.com