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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町朝日 天満神社

天満神社(てんまんじんじゃ)は、松前郡松前町朝日356番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、水波乃女命(みずはのめのみこと)で例祭日は7月25日。

神社は及部川右岸の小高いところにあり、周囲は樹木も濃く暗くて蚊などの虫除け必須です。

朝日地区

 かつて及部村(およべむら)と呼ばれ近世の一時期存在した村であり、1702年(元禄15年)の元禄郷帳の東在のうちに「およべ村」とみえる。松前湾に注ぐ河川のなかで最大の及部川の河口部と流域に位置する。城下のなかでも最も近い鮭漁ができる河川である。「新羅之記録」に道南十二館の一として覃部(およべ)館がみえる。同川流域にあったと考えられるものの所在地不詳。

地名由来はアイヌ語から来ていて、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
オユウンペ<o-yu-un-pe>川尻に・温泉・ある・所 [昔、温泉があったという。]上原熊次郎地名考・永田方正地名解
オイオッペ<o-i-ot-pe>川尻に・それ(蛇、熊、魚等)が・多くいる・もの(川) [現地で聞いてみたが温泉はない。もしかしたら、左のような形だったのかもしれない。]山田秀三
となっています。

天明期(1781~89)以降に及部川を挟んで右岸を下及部村(城下村)、左岸を上及部村に分離。

下及部村は1900年(明治33年)7月1日下及部村ほか城下村を合わせて福山町が発足。(1940年(昭和15年)7月15日松前町に改称)

上及部村は1923年(大正12年)4月1日上及部村ほか3村を合わせて大沢村が発足。

1954年(昭和29年)7月1日 松前郡松前町、大沢村、小島村、大島村が合併し松前町としました。

天満神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 元禄3年松前主水広時の創立と伝えられ、元文3年松前平治右衛門広行が再建する。弘化4年5月25日に改築、明治9年村社に列せられる。享和2年川裾神社を合併したとあるが、詳細についての資料がなく不明である。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
川裾神社 水波乃女命 享保18年創祀 享和2年合祀
稲荷神社 倉稲魂命 享和2年9月12日 明治44年1月27日合祀
【所在地】
〒049-1517 北海道松前郡松前町字朝日356番地
【例祭日】
7月25日
【祭神】
菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
水波乃女命(みずはのめのみこと)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
毎年、例祭にて松前神楽奉奏し、神楽の普及に努めている。

 

御影石鳥居には『奉寄進 文政五壬午三月吉日』とあり1822年のことである

 

ちょこっとした石段と社殿

手水舎(水盤には嘉永元年らしき文字があり1848年のことである)

 

石灯籠一対(文化十一甲戌稔五月吉祥日とあり1814年のことである)

 

 

 

右隣に境内社の稲荷神社

脇には大きな木があり少し朽ちていて風の強い日や大雪になったら拝殿を直撃しそう…

蚊がシツコイので戻りますか。

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