page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町茂草 茂草荒神神社

正式名称は荒神神社ですが、他の荒神神社と区別するため地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

 茂草荒神神社(もぐさあらがみじんじゃ)は北海道松前郡松前町茂草520番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は軻遇突智命(かぐつちのみこと)、水波廼女命(みずはのめのみこと)で例祭日は6月28日。

 茂草集落の北端に神社はあり、茂草町民体育館を目指していくとたどり着きます。境内は比較的に広く、参道の頭上を交差するように配置した黒松がとても良い景観を作っています。また、花崗岩の鳥居には弘化4年と刻まれており1847年のことです。

茂草地区

 かつては茂草村(もぐさむら)であり、1923年(大正12年)4月1日に松前郡根部田村、赤神村、札前村、茂草村、雨垂石村が合併し、小島村が発足し茂草村としては消滅しました。1954年(昭和29年)7月1日 松前郡松前町、大沢村、大島村と合併し、松前町を新設しその一部となりました。

 1809年(文化6年)の村鑑下組帳(松前町蔵)の当村旧跡の項に「茂草村古名はしののた、即しののた川之向ニ有之」とあり、茂草川(しののた川)を境に北側の「しののた村」と、後に発展してきた南側の茂草村とを合せて茂草村とよばれるようになったとのこと。

 茂草の地名由来はアイヌ語から来ていて、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、

チャ<mom-ca>小柴の流れ〈流れる・小枝〉この川が増水する時には、小柴が海岸へ流れ寄るため。上原熊次郎地名考(山田秀三補足説明)

となっております。

茂草荒神神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 創立年代不詳。元禄元年に再建された。安政5年旧藩主松前家17世崇広の造営にかかり松前家歴代藩主の祈願所として格別の崇敬社である。明治9年10月20日村社に列せられた。明治20年8月13日火災に罹り社殿悉く烏有に帰し同24年9月再建せられた。明治43年10月字茂草11番地鎮座の無格社瀧野神社を合祀(現境内神社)。大正2年11月拝殿増築。同8年7月拝殿改築。同12年8月神饌所改築。同13年3月6日神饌幣帛料供進神社に指定。昭和45年6月15日氏子参集所新築。
【所在地】
〒049-1645 北海道松前郡松前町字茂草520番地
【例祭日】
6月28日
【祭神】
軻遇突智命(かぐつちのみこと)
水波廼女命(みずはのめのみこと)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
松前神楽 鎮釜湯立神事
【境内外末社】
瀧野神社 水波廼女命(みずはのめのみこと)

一ノ鳥居と社号標(昭和46年6月吉日建立)

 

鳥居を過ぎ右手に広い駐車場。更に奥の路地を右に曲がると参道があります。

二ノ鳥居と記念碑

手水舎

大きく手水鉢と刻まれた御影石の手水石(なんとなく大正8年と刻まれている?)

 

鳥居前に石灯籠一対(建立日不明)

 

御影石の二ノ鳥居

左側:奉納 柏屋喜兵衛(近江商人で屋号は渡島国松前郡福山(現北海道松前町字福山)で『柏屋』は歴代当主が襲名した名称。)

 

手舩 ◯◯◯◯ (薄く判読が難しい)

 

右側:弘化四丁未(ひのとのひつし)年 無射吉旦(1847年9月吉日)

 

たくさんの船の名前と船頭の名前が刻まれています

 

 

黒松の並ぶ参道

三ノ鳥居

交差した松が素敵です。

石灯籠一対(9月吉日とだけ刻まれており建立年は不明)

 

扁額には荒神社

左側に無人社務所

右側に境内社:瀧野神社

 

www.moiwa-orosi.com