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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町江良 江良八幡神社

正式名称は八幡神社ですが、あちらこちらにあるので地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

江良八幡神社(えらはちまんじんじゃ)は、北海道松前郡松前町字江良751番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、大山祇大神(おおやまづみのおおかみ)、稲荷大神(いなりおおかみ)、船玉大神(ふなだまのおおかみ)、恵比寿大神(えびすのおおかみ)、愛宕之大神(あたごのおおかみ)で例祭日は9月15日。

旧江良漁港に注ぐ大澗川の河口から400mほど上流にあり、太鼓橋を渡ると周囲は谷間の杜に囲まれ、夏場の参拝には虫除け必須でして蚊が纏わり付いて凄いのなんの…

けど、このあたりの神社の中では一番の風格が漂う神社さんです。

江良地区

 かつては江良町村(えらまちむら)であり、1915年(大正4年)4月1日北海道二級町村制施行により松前郡江良町村、原口村、清部村が合併し、大島村が発足し江良町村としては消滅しました。その後、1954年(昭和29年)7月1日 松前郡松前町、大沢村、小島村、大島村が合併し、松前町の一部となりました。

 江良が地名として文書に出てくるのは、1702年(元禄15年)の元禄郷帳に「ゑら町村」、1727年(享保12年)享保十二年所附に「江良町村 松前不動川ヨリ四里廿九丁五十六間」、1731年(享保16年)の津軽一統志に「ゑら町 是迄三里 澗有此入江嵐にて船出す」と記され、1834年(天保5年)天保郷帳(松前嶋郷帳)に江良町村とみえる。

 慶長年間(1596~1615)に南部・津軽の人が漂着し魚介の豊富なことから永住し始め、越前から源八、秋田から長左衛門が渡来し漸次移住者が増加していったという(函館支庁管内町村誌)。寛文年間(1661~1673)頃は七〇軒ほどあり(津軽一統志)、松前から上ノ国に至る間では清部村とともに大きな集落であった。1679年(延宝7年)には八幡神社が建てられ、「福山秘府」によれば神体は円空仏であったらしい(「江良町郷土誌」は神仏分離の際焼かれたとする)。

 1741年8月29日(寛保元年7月19日)未明に日本海で発生した大津波である寛保津波(渡島大島の噴火に伴う山体崩壊が原因、松前藩での死者数は2083人でアイヌ人の死者は不明[資料にアイヌの被害状況の記載がないことから、アイヌの被害調査は未実施と推測されている])で、大島の対岸にある松前町字江良地区の被害が最も大きく死者450人と被害が甚大であった。『津軽藩日記』によれば「ゑら町」では、「三百七拾人程外旅人八拾人程」の死者が出たと記されている。

----泉龍院寛保津波の碑----
この津波で生き残った人々が泉龍院に集まり、実宗が中心となって、この供養碑を建立し犠牲者の菩提を弔った。碑は、花崗岩で高さ112cm(地蔵部分50.5cm)、幅30.5cm、奥行き28.5cm、台座は高さ22cm、幅43cm、奥行き47cm、正面に「為 寛保元年 辛酉 溺死諸霊菩提 七月十九日」の文字が、左側面には建立者が刻まれている。また、江差町法華寺、江差町正覚院及び松前町光明寺の供養塔並びに熊石町の地蔵座像とともに大津波の惨状を今に伝える重要な歴史的資料である。

 1824年(文政7年)の上原熊次郎「蝦夷地名考並里程記」に「此沖合行程八里程隔て大嶋といふありて、多分、此所より渡海すといふ」とも記され、近世初期には大鴨津(おおかもつ)川上流に多数の砂金掘鉱夫が入ったとも伝える。

 江良の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、

エラマンテウシ<eramante-usi> 漁人の小屋ある所?
イラマンテウシ<iramante-us-i>狩漁する・いつもする・所〈狩猟の場所だったのでついた名か。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

上原熊次郎「蝦夷地名考並里程記」では「夷語ヱラマチなれは魂魄といふ事。亦ヱランマシユなれは美敷と申事なれとも、両様故事未詳」と意味不明と締めくくっています。

江良八幡神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 創立は佐々木對馬守源延次二男佐々木二見が正徳4年8月に社殿を建立若宮八幡宮と号したことに始まる。明治に至り社号を改める。享保16年拝殿改築、更に安永4年、天明9年、安政4年、寛政13年、文政元年と拝殿を改築、慶應元年本殿改築、寛保元年7月16日離島大島が噴火し大津波となり当社一の鳥居が流出し亀田郡戸井村に漂着、氏子過半数を失い松前全郡被害を及ぼしたが当社殿は難を免がれた。昭和14年10月13日現在地に移転、昭和55年10月13日本殿幣殿拝殿向拝神饌所参集所手水舎落成、平成6年集中豪雨に依り社務所に被害がでる。現在社殿の改修、参道の舗装等境内地の整備に務めている。
【所在地】
〒049-1771 北海道松前郡松前町字江良751番地
【例祭日】
9月15日
【祭神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
大山祇大神(おおやまづみのおおかみ)
稲荷大神(いなりおおかみ)
船玉大神(ふなだまのおおかみ)
恵比寿大神(えびすのおおかみ)
愛宕之大神(あたごのおおかみ)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
松前神楽
【境内外末社】
弁天神社(べんてんじんじゃ)(離島大島) 嚴嶋姫命(いつくしまひめのみこと)

鳥居前には太鼓橋があり此処から先は神域である

左手に社号標(昭和7年奉納)

 

鳥居と社号標(昭和13年5月1日建立)

住宅(社務所)を過ぎ左手に階段付きの何か。

なぜ撮ったか忘れたけど周囲より目立つ松の木

手水舎(手水石は昭和6年9月15日奉納)

 

石灯籠一対(平成元年5月吉日建立)

 

左手に授与所

狛犬一対(平成4年9月15日建立)

 

社殿右奥にお社があり、何が祀られているのかは不明。

 

社殿左側に資材庫と神輿殿

参道途中の左側に住宅があり訪ねてみると社務所兼用でして、御朱印はやっていないそうです。(残念…)

ちょっと愛想の悪い宮司さんでした。

 

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