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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

松前郡松前町原口 原口八幡神社

正式名称は八幡神社ですが、あちらこちらにあるので地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

原口八幡神社(はらぐちはちまんじんじゃ)は、松前郡松前町字原口205番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で例祭日は7月15日。

原口集落を流れる原口川河口から200mほど上流に神社はあり、草刈りなど管理はされているようですが、それほど綺麗に清掃はされてはなくちょっと残念。

原口地区

 かつては原口村であり、1915年(大正4年)4月1日北海道二級町村制施行により松前郡江良町村、原口村、清部村が合併し、大島村が発足し原口村としては消滅しました。

その後、1954年(昭和29年)7月1日 松前郡松前町、大沢村、小島村、大島村が合併し、松前町の一部となりました。

 原口が地名として文書に出てくるのは、1702年(元禄15年)の元禄郷帳に「はらくち村」、1727年(享保12年)享保十二年所附に「原口村 此所坂ノ上迄合三十六丁一里 松前不動川より七里」、1731年(享保16年)の津軽一統志に「原口 是迄一里小川有 是よりらしたつへ迄山中通る 家十四軒」と記される。

 原口の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、

パラコッ<para-kot>広き渓間〈広い・谷地〉 この沢の辺が広い渓間であったため。〈コッは多くは凹地をいうが、河谷という意味にも使われた。〉上原熊次郎地名考(山田秀三補足説明)

とあります。

 1741年8月29日(寛保元年7月19日)未明に日本海で発生した大津波である寛保津波(渡島大島の噴火に伴う山体崩壊が原因、松前藩での死者数は2083人でアイヌ人の死者は不明)の生存者が「おこしえ村」から移転したという伝承がある(函館支庁管内町村誌)

原口八幡神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 創立年代不詳。安永2年8月に再建されている。明治9年に村社に列せられ、同19年9月29日に拝殿を建て替える。昭和14年7月24日には神饌幣帛料供進神社に指定される。
【所在地】
〒049-1762 北海道松前郡松前町字原口205番地
【例祭日】
7月15日
【祭神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
【旧社格】
村社
【特殊神事】
松前神楽

鳥居に奉納者らしき文字が刻まれているようですが判読できませんでした。

 

石灯籠一対(昭和62年7月 矢不来天満宮宮司 三影慶蔵と刻まれていて矢不来天満宮との関わりに興味が湧きました)

 

右手に手水舎(手水石は自然石をくり抜いたもの)

神社にお馴染みの一等水準点(準基431、昭和43年設置、標高10.3261m)

狛犬一対(総代一同、昭和62年・63年・64年、年賀者一同建立)

 

 

左奥に資材庫

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