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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

檜山郡上ノ国町石崎 石崎八幡神社

正式名称は八幡神社ですが、あちらこちらにあるので地名をつけた形で以降、当ブログでは呼ぶことにします。

 石崎八幡神社(いしざきはちまんじんじゃ)は、北海道檜山郡上ノ国町字石崎204番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)で例祭日は8月18日。

 石崎集落の狭い路地の左側に鳥居があり、境内には上ノ国町記念名木の黒松と欅の巨木があります。三基の鳥居を過ぎ社殿左手には境内社の稲荷神社と山神神社があり、拝殿の扁額は八幡宮、屋根には「八角に割り菱」の社紋。石灯籠一対あり狛犬はいない。

 上ノ国町広報「かみのくに」では「【本殿の創建年代】不明ですが、1704年の鰐口(円形の大きな鈴)が神社に残っているため、この頃には本殿が存在していたことが考えられます。また、現在の本殿は1801年の建築とされています。」とあります。

一ノ鳥居

石崎地区

 石崎(いしざき)は石崎川の河口付近にある集落で、かつては石崎村であり、1902年(明治35年)4月1日 に上ノ国村、木ノ子村、汐吹村、石崎村、小砂子村、大留村、北村の7村を併せて上ノ国村とし、二級町村制が施行され石崎村としては消滅しました。

南側には日本海に突き出た岬があり、嘉吉元年(1441)下北の田名部から渡道した畠山重忠の一族で厚谷右近将監重政の築いた「道南十二館」の一つ「比石館」が置かれましたが、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いで討死・陥落しました。

 石崎が地名として文書に出てくるのは、1702年(元禄15年)の元禄郷帳に村名がみえ、1731年(享保16年)の津軽一統志に「石崎」とあり家二三軒、1776年(安永5年)の福山秘府に「比石即今石崎古名也」とあり、古くは比石と称されたとあります。

 石崎の地名由来は元来のアイヌ語を意訳し名付けられた和名で、上ノ国町「広報かみのくに」では昔、比石(ひいし)という地名で、アイヌ語のピツウシ(石が多い所)が語源です。比石から石崎になったのは、川尻が石の崎になっていたからという説があり、現在の石が多い石崎川の河原を見るに、当時の情景から名付けられたと考えられています。」とあり、山田秀三「北海道の地名」でも、「当時はこの川名は比石川であった。たぶんピッウシ「pit-ush-i 石・多い・もの,処」,あるいは pit-ush-nai であったろう。石崎の名はそんな地形から出たものか。」とあります。

大正6年測図、昭和20年部分修正地形図

石崎八幡神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 創立年月日不詳であるが、元禄17年の銘ある鰐口により少なくもそれ以前。経津主命はもと厚谷重政の比石館址に館神社として祀られていた。館神社は永禄3年創立とするも比石館は後花園帝の長禄元年に陥落した館である。天照大御神は廃村となった羽根差地区に宝暦7年創祀されたもの。境内社、山神社は弘化2年、稲荷社は天保14年の創立。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
羽差大神宮 天照大御神 寛暦7年創祀 明治42年合祀
【所在地】
〒049-0741 北海道桧山郡上ノ国町字石崎204番地
【例祭日】
8月18日
【祭神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
【旧社格】
村社
【社宝等】
円空仏(町指定)
【境内外末社】
山祇社(やまつみしゃ) 大山祇命(おおやまつみのみこと)
稲荷社(いなりしゃ) 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
舘神社(たてがみしゃ) 経津主命(ふつぬしのみこと)

二ノ鳥居

三ノ鳥居

手水舎(昭和6年10月奉納)

 

上ノ国町指定名木 黒松

 

奥に欅の大木

左奥に資材庫

境内社の稲荷神社(左)と山神神社(右)

 

 

石灯籠一対(昭和5年建立)

 

 

屋根に「八角に割り菱」の社紋

石崎は、かつて松前藩初代藩主慶広の五男幸広の子孫にあたる斎藤流松前家の領地で、同家の家紋である「八角に割り菱」を社紋とした。

 

昭和の時代の擁壁に大正14年6月15日村中一同と書かれた謎のもの

 

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