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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】中川郡本別町 本別神社

本別神社(ほんべつじんじゃ)は北海道中川郡本別町朝日町5番地1にある神社で旧社格は郷社。御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)・宇賀神(うかのかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)で例祭日は9月20日。

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本別町

本別町の地名由来はアイヌ語でポンペッ<pon-pet>小さい・川」 の意で、相当の川ではあるが対岸の美里別(ピリペッ<pir-pet>渦の・川 )などと比較して小さい川と呼んだものか。山田秀三解

十勝北東部の内陸に位置し、内陸性の気候で冬の寒さは厳しいが積雪は比較的少なく、また晴れの日も多いことから地域内では大半が畑作を営んでいます。

1915年(大正4年)4月1日 本別村、嫌侶村(きろろ)、負箙村(おふいぴら)、幌蓋村(ほろけなし)、勇足村、押帯村(おしょっぷ)が合併。本別村となりました。

 北海道空襲では1945年(昭和20年)7月15日、本別町中心部にもアメリカ海軍機による攻撃が行われ、死者40人を出しました。

 ちなみに、1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリストであり、第二次世界大戦末期の硫黄島の戦いにおいて、戦車第26連隊長として戦死した西 竹一中佐(バロン西)が死ぬまで離さなかったウラヌスの鬣(たてがみ)が、1990年(平成2年)にアメリカにおいて発見され、現在では軍馬鎮魂碑のある町内の歴史民俗資料館に収められています。

また本別町には落ち延びて行く義経伝説があり、義経の里本別公園などが整備されています。

大正9年測図地形図 駅名は「ぽんべつ」で1961年(昭和36年)には読み方を「ほんべつ」に改称しました。

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本別神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】

 明治29年本別地方に開拓の鍬が入り、翌明治30年、本別地方鎮護の神として、現社殿東北山腹に宮柱を建て、天照大御神を奉斎するを以て創祀とした。次いで明治34年本殿を建て若宇迦賣命を増祀、明治44年神社境内を定め、大己貴命、少彦名命を増祀した。明治45年拝殿を造営。大正7年11月27日本別神社創立が許可された。昭和3年、御大典記念事業として明治45年造営の社殿後方山すそに現在の社殿が本建築にて建てられる。昭和5年、一躍郷社に列格、昭和6年より15年位までに大鳥居、第2鳥居、石灯籠、御神輿、神具等が奉納された。昭和29年社務所を改築(98坪)昭和32年御創祀六十年記念事業として造林地造成が始まる。昭和43年事務室増築、昭和49年、本別町美里別東地区にあった中村神社の廃社に伴い、造化の三神を合祀した。昭和52年、社殿屋根を銅板に葺替(御創祀八十年記念)、昭和62年、第四階段を御影石に改築(御創祀九十年記念)、平成7年100年記念事業として、社務所を社務所及び参集殿(270坪)として改築、平成9年百年記念大祭を執行。

合併により合祀された歴史をもつ御祭神
中村神社 天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神 明治33年創祀 昭和48年11月9日合祀

【所在地】
〒089-3332 中川郡本別町朝日町5番地1
電話 0156-22-2038 FAX 0156-22-2038
【例祭日】
9月20日
【祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)・宇賀神(うかのかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)
【旧社格】
郷社

一ノ鳥居を過ぎた左手には立派な土俵

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手水舎

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緩やかの登っていく参道

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壊れた灯籠(大正10年9月建立)

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演舞場?

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狛犬(建立日不明)

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右手奥には忠魂碑(昭和53年11月再建)

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陸軍大将子爵大迫尚敏書(第7師団長として二〇三高地や奉天会戦に参加)

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左にある小社

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右には十勝大山神社(とかちおおやまじんじゃ)

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御朱印

普段は下の写真の社務所で頂けるのでしょうが、元日は拝殿前にある授与所で書き置きがありました。

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元日参拝なのですから、せめて日付は欲しいですよね。

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