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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】川上郡標茶町 川上神社

川上神社(かわかみじんじゃ)は北海道川上郡標茶町川上7丁目1番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は大國魂神(おおくにたまのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)で例祭日は8月15日。

 釧路から釧路川沿いを北上して弟子屈へ向かう途中にあり、標茶駅から釧路川を渡った右岸側に神社はあります。それほど広くはない境内で、ここ最近の神社がきれいに整備されたところが多い中、寂れた感じがする場所でもあります。

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標茶町

 標茶(しべちゃ)は昭和4年に改称する以前は熊牛(くまうし)村と呼ばれ、地名由来は和名に見えますがこれもアイヌ語から来ていて、「クマウイ、クマウシ<kuma-us-i>物乾し棚・多くある・所〈魚が多く捕れた所なので、魚乾しの棚が多く並んでいたのであろう。〉」であって、未開で無気味な辺境の地を連想させるため市街地の地名である標茶に改称したと言われます。

 標茶の地名由来はアイヌ語の「シペッチャ<si-pet-ca>大・川・岸(大川端)大川の丘陵の意味。〈釧路川がシペッ(本流)で、その岸の意。根室や斜里から山越えして来て、ここで初めて大川端に出るのでこの称があったのではなかろうか。〉{旧記を見ると、斜里方面から釧路方面に向かう交通路であって、ここから水路となる重要な地点であったらしい。}」から来ています。

 1885年(明治18年)網走刑務所の前身である釧路集治監が開設され、塘路(とうろ)に熊牛村外四ヶ村戸長役場が設置されました。一時期は釧路に匹敵する町の規模を誇っていた時代もあり、囚人は最盛期2,000人近くになり釧路-網走間の道路建設や釧路鉄道建設、川湯のアトサヌプリ(硫黄山)での硫黄採掘などの役にあたりました。
 1887年(明治20年)硫黄山の硫黄の輸送のため、標茶-硫黄山間に北海道で二番目の鉄道が建設。硫黄は標茶で積み替え釧路までは水運で運ばれるが、乱掘のため資源が枯渇し鉄道も9年足らずで廃止されました。
 1901年(明治34年)には、釧路集治監廃止され機能は網走分監に移されました。2年後、弟子屈・屈斜路の両村が弟子屈外一村戸長役場(現在の弟子屈町)として分離し人口が激減。
 1908年(明治41年)陸軍省の外局である軍馬補充部川上支部(昭和20年廃止)が設置され、再び町は活気にあふれ、これに伴い人口が増加し始めます。  1923年(大正12年)熊牛村となり、1927年(昭和 2年)には釧網本線が標茶まで全通し町の将来の発展が期待されることから、1929年(昭和 4年)熊牛村から標茶村に改称されました。

市街地から少し上流にある熊牛原野と呼ばれる地区は、女優の高橋惠子さんの出生地ですね。

大正10年測図、昭和7年鉄道補入地形図 軍馬補充部川上支部があリますね。

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川上神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 当初、標茶には佐野孫右衛門の漁場の番屋があるだけであったが、明治18年9月川上郡熊牛村に釧路集治監が設置され、また安田礦業所経営に係わる跡佐登硫黄山より原礦運搬のため鉄道が敷設され、礦物や旅客貨物運送を開始するにあたり人口が増加し一大市街を形成するに至った。崇敬する神社が無かったため明治21年8月地元住民らが協議の末神社創立を決定、社を建立したことに始まる。明治24年、総代の島田清兵衛が当時の官幣小社札幌神社より御分霊を戴き社殿を造営して奉斎、毎年8月15日を大祭日と定めて川上郡の総鎮守とした。明治31年に無格社、昭和10年には社殿を改築し同年12月村社に列せられ、翌年2月には神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和27年、4年前から元軍馬補充部根室支部内に仮遷座されていた七報神社の天照大御神と豊受大神を合祀、同年相馬神社が境内社となった。更に昭和31年には磯分内神社が境内神社となっている
【所在地】
〒088-2314 川上郡標茶町川上7丁目1番地
電話 01548-5-2552 FAX 01548-5-3374
【例祭日】
8月15日
【祭神】
大國魂神(おおくにたまのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
【旧社格】
村社

 手水舎 地下水を汲み上げているので常時流水ですね。

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手水石は明治26年7月奉納

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下の石に亀甲紋があって、あれ?ってよく見たら台座は亀でした。

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石灯籠(建立年不明)

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左にはお祭りや正月のときの授与所

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右には神輿殿

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狛犬(昭和17年8月建立、花崗岩製)

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社殿左手には馬頭神と書かれたお社があって、参道左手には相馬神社と刻まれた石がありました。

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忠魂碑(大正13年1月建立、御成婚記念とあります)

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駐車場の片隅には二輪神社があって、賽銭箱土台は燃料タンクです。

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御朱印

社務所前には犬が繋がれていて、社務所に行くまでは吠えなかったのですが、御朱印頂いてる最中はうるさかったです。

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御朱印ありがとうございます。初穂料は300円納めさせていただきました。

御朱印と一緒にお守りまで頂けまして、イケナイとは知りつつ中身見ちゃいましたテヘッ。

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